万華鏡の美しさは、展開の意外性、偶然の造り出せることの可能性について示唆深いものがある。しかし、ひとの興味を維持することが出来ない。現れる模様は始めから終りまで偶然に他ならないのである。そして、我々は五分も経たぬうちにそれに気付き(あるいは気付く以前に)飽きてしまうのである。

『「目覚めよと呼ぶ声」は花婿を知らせる声』(April, 1993)より

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