衒学者の回廊/滞米中の言の葉(1993-1994)

『砂のあした』を生きる

小学一年生のときよりSFものを読み出した私は、教室の隅にある小さな「学級文庫」にある少年向けのSFは全部すぐに読み終えてしまった。SFそのものを見つけたのは私自身であったが、私にSFというジャンルの存在を教えてくれたのは母である。そもそも読書好きだった母が、私の興味を呼び起こすために"Science Fiction"なるモノの定義まで教えてくれたのだ。そして私の読書に対する持続的な関心を保つ目的のためか、母は市の図書館から引き続き似たような「少年向けSF」を借りてきてくれた。こうして、私は少年向けのSFを片端から読み漁ることが出来たのだ。その中に『砂のあした』というタイトルの本があった。誰が書いたものかは忘れた。だが、その小説の持っている何ともいえない絶望的な雰囲気は今でも覚えている。

ある日、近所の児童遊園で遊んでいた<ぼく>は、砂場にいる小さい子供たちが異様なほどに砂に取りつかれているのに気づく。その子供たちは、ただ砂を手にとり観察しているのである。砂場の子供たちが気付いていたこととは、砂粒がひとりでに分裂を繰り返してその量 を増やしている、という事実だった。

本の題が持っている(そしておそらく表紙の持っていた)トーンの暗さと、その少年<ぼく>の淡々とした語り口が、初めからどうしようもない絶望的結末を約束していたようだったが、それでもその砂が無尽蔵に増え続けるという状況の中でも何か「救い」があるのではないかと、解決の方法を想像しながら読み進んだ。砂はすぐにその児童遊園の砂場から溢れだし、数カ月もたつと、増え続ける砂を回収して始末する人々の努力が追い付かなくなる。疲れ切った大人達の努力にも関わらず、街は砂で埋めつくされていく。少年<ぼく>は、そこまで明かな絶望の中でも、この砂のために人類が直面 しなければならない破局を信じることが出来ない。

そのほかにドラマに必要な詳細がいろいろあったはずだが、それらは思い出せない。最後に、彼は人類あるいは地球の未来が知りたいと願うが、その強い思いが地球外生物か未来人か某かによって聞き入れられる。<ぼく>は時間旅行をする。階段をのぼり切ったところで扉を開けると、それは遠い未来の地球だった。<ぼく>は、砂に完全に埋まってしまって人類の痕跡もなくなってしまった新世界を目撃させられる。人類が一人もいなくなり、生きるものが一切いなくなった後でも日の下で砂の地球は静かに存在を続ける。

我々は未来の地球の姿を知っているのかもしれない。地球が、人類はおろか生けとし生けるものすべてがその生命を保ち続けることの出来ないような環境へ、と最終的に変化していくという運命は、「本能的に」というのは真実でないにしろ、ちょっと想像力を働かしてみれば分かるからである。

私が『砂』と出会った二度目は、高校生のときに読んだ安部公房の小説『砂の女』で、三度目は森本哲郎の『サハラ幻想行』だった。『砂の女』は横に置いておくとして、森本氏に言わせると、「人類の歴史は砂やほこりとの闘いの歴史だ」という。それは必ずしも古代文明が砂漠の様な厳しい自然環境のそばに見いだされる、という様な文明論一流の論理を再び開陳しているわけではない。無論、その事実はそれ自体で、戦慄すべき意味を持つが...

森本氏は言う。我々が一週間も家を開けて戻ってくれば、机の上などはうっすらとほこりが被っていることがある。つまり、結構気密の良いと思われている家でも、我々が気がつかないほどの僅かな隙間などから、ほこりは執拗に室内に侵入してくるということなのだ。そこで、文明活動とはこうしたほこりや砂を家のそとに掃き出す行為であり、ほこりや砂との絶え間ない闘いである、という言い方が出てくる。我々は日常的に少しずつ掃除などの文明的行為によって、ほこりと住空間を分けている。我々が今暮らしている街を去って、千年、いや数百年も放置すれば、ほこりや砂が机や床どころか街全体さえも土の中に埋めてしまうことなど、何の造作もないと言うことなのだ。

私は何故古代文明と言われるものが、すべからく地面の下から出てくるのだろうか、と幼い頃から疑問に思っていた。そして「何故、人々は自分たちの住むところを平気で土砂に埋もれさせてしまうのか」などと漠然と思っていた。しかし、問題は「どうして文明は土の中に埋まるのか」ではなく、「何故、人はその地を去ってしまうのか」ということであった、と後に悟った。

人が去れば、街が土砂に埋まるのは自然の持っている勢いからして当然なのだ。そしてその砂やほこりを運んでくる勢いとは風である。人の活動というものが、生活環境を自然と分け隔てる行為そのものである以上、人がいなくなればその活動の跡が土の下に埋まってしまうのは当然である。だが、改めて「何故、我々はその住み慣れた土地を去ってしまうのであろう」。この疑問は立てること自体が恐ろしい様な設問なのだ。

今、我々は少しずつではあるが、確実に砂漠を広げつつあるという。自然そのもの、というよりは、我々自身の生きようとする本能こそが文明という「砂からの隔離」を可能とする構造を造り上げ、同時に、その文明という道具を駆使しては懸命にその砂漠を拡張しているのだ。最終的にその砂漠が我々にどういう未来を与えるのか、ということはちょっと考えてみれば分かることであるにも関わらず、である。

インダス文明のモヘンジョダロの遺跡も砂の中からでてきた。メソポタミア文明のウル遺跡も千年もの間《瀝青の丘》と周辺の人々に呼ばれた巨大な砂の塊のなかから発掘された。古代エジプトの遺跡は今でも拡大しつつある広大なサハラ砂漠の中で見出され、そして再び土砂の中に帰しつつある。中国の殷や周と言った古代文明の遺跡も砂の中から発掘された。中央アジア、シルクロード沿いのオアシスとして知られるホータンの東300キロのニヤの遺跡(楼蘭王国)、これも比較的新しい文明であるが(紀元2世紀?)、1500年間もきれいに砂に埋もれ続けたのである。天山山脈とコンロン山脈に挟まれたタクラマカン砂漠から発掘された、このニヤ遺跡からは、木造の住居や木簡(木製の手紙やドキュメント)が見つかっている。木は豊かにあったのだ。またチベット高原に住む人々やラマ教徒の間には、広大なゴビ砂漠のなかに偉大に栄えた古代都市が幾つも埋まっている、というまことしやかな言い伝えまである。こうなってくると都市というものは、ただ放っておけば土やほこりに埋まってしまうというよりは《砂漠》の下に埋まるという特定の傾向があるようにも思えてくる。

文明とは言ってみれば、土地土地より自然の供給物を一方的に収奪しながら移動する巨大な遊牧民の様なものだ。短期間で大きく膨れあがった都市の人口を自然は養い切れなくなる。痩せてしまった土地は急速に文明の維持を不可能にする。飢饉に伴う人々の争いが都市をより荒廃させ、飢えそのもので死ぬ 人々の数に上乗せする。都市にのみ起こり得る大量死である。勿論こうした土壌の弱化以外にも感慨水を引くために人工的に地形を改変すること等によって生じる、「天災級の人災」の多発なども大量 死につながるに違いない。また、機能的に洗練された人口の集中した都市ほど疫病などに脆いことは知られている。いずれにせよ、こうして自然の回復力を無視して成長した都市文明は突然終りを告げる。生き残った一部の人々も街を去り、かつて嘘のように栄え、利便を誇ったきらめく都市の歴史は、斧で断ち切られた様に歴史の表舞台から忽然と姿を消し、砂の中に埋まる。都市の存在は近隣の人々の言い伝えと化し、伝説や神話となる。

ときに、南米アマゾンの熱帯雨林の伐採は地球規模の気性変化の原因となっているのは知られたことだが、サハラ砂漠の面 積を拡張させ、アフリカの国々で近年多発している旱魃や飢饉の間接的原因になっているという説がある。

『砂の女』にもあったが、砂漠(砂)は生きているという。ともかく、ひと度砂漠が人の手により地上に産み落とされるや、生きている砂漠はその本性により成長を始める。文明には若い時代もあれば、終りのときもある。死んだ文明が自分の死骸を砂に埋める。砂漠は文明の墓場なのだ。そして、文明が生きていたように今度はその砂漠が息を始めるのだ。我々の認識し得る時間軸の中ではその砂漠の成長も後戻りのない、不可逆的な性質を持つ。

我々は歴史の歩みを文明の興亡盛衰とともに、それぞれの世代へ『もうひとつ多くの砂漠を残す』ことで地にしるし刻んできた。だいぶん我々の子孫達が住める土地は狭くなることであろう。我々は先人の『砂のあした』を生きており、我々は『明日のない砂』の墓場を子孫に残すのだ。

1993年4月4日(パーム・サンデイ)


© 1994 Archivelago