衒学者の回廊/滞米中の言の葉(1993-1994)

3000ピースの青春

石川 初

先週、日本からの友人と過ごす機会がありました。久しぶりに、夜遅くまで、言葉に不自由なく話し込んで、楽しいひとときでした。

さて、どういう会話のいきさつでか、夜中を過ぎたころ、「内容のよいデートを企画するには」という話に及びました。どこへデートに誘うべきか?あるいはどのような内容のデートにするか?というのは、彼/彼女の関係の維持管理的な視点から、非常に切実な問題になり得ます。特に関係の初期、相手が彼/彼女になってくれたらいいな、という段階であるようなとき、つまりデートという行為がまるでフラミンゴの求愛ダンスのような意味を帯びている場合、デートの構成内容というのはそれ自体、ある表現となり、自分のセンスとか、知性とか、エンタテイナーの資質とか、(あるいは財力とか...)そういうものを示す機会になります。

概して、こういう時のデートというのは「非・日常」の演出である、と言えます。(あるいは祭儀である、とも言える。祭儀としてのデート、というのは面 白い見方 だけれども、これなんか突っ込むと非常に複雑な議論になりそうではある)つまり、ドライブにしてもおしゃれなバーやレストランにしても、あるいはめかし込んだ格好にしても、「いつもとは違う」特別 なものを体験しに出かけるわけですから。

だから、よいデートのアレンジとは、非日常をいかに効果的に持ち込むかということである、と言えるのです。 都市で、非・日常を最も手早く入手する方法は、財布をはたくことです。お金をかければ、かなり大変な非・日常まで簡単に手にすることができる。映画や観劇は序の口だし、ディズニーランドは巨大な非・日常空間だし、ハイクラスのホテルのバーやレストランなんて、非・日常にソースをかけて食べるようなもんだし、そもそもドイツやイタリアの高級車だって、運転する非・日常であるとも言える。高価なプレゼントも、美しく包装された金色の非・日常の結晶なのです。

この方法には大きな欠点が2つあります。それは、投資額が大きいほど質の高くなるという種類の非・日常性は、拡大を続けなければ魅力が失せてしまうということと、財力には宿命的にリミットがある、ということです。回を重ねるごとにアメックスの請求が大きくなる、というのは、胃が痛くなるような恐怖ではあります。

そこで、どのような企画が、安くて楽しいデートとなり得るか?という点において、我々の創造力の余地がでてくるわけです。

僕は、「知られざる東京をめぐる」というアイデアを提案しました。今日のテーマは江戸情緒だ、とか言って、日暮里の駄 菓子やさんとかを巡って、かき氷をたべて、電気ブランかなんか飲んで、お土産に佃煮を買って帰る、なんて粋じゃないかとおもったのです。あと、本郷周辺の庭園群も渋いと思う。

しばらくそんな話をしていたら、ふと彼が、(その彼に恋人がいるかどうかはともかく)実は、彼女ととジグソーパズルをするのが夢なんですよ、とぽつりと言いました。ジグソーパズル!「彼女と・部屋で・二人で・ジグソーパズルをする」うーん、なんという、想像を呼ぶ、刺激的なフレーズでしょうか。これはなんというか、いままで思い付かなかった、工夫の可能性を示唆している、と思いました。プラモデルとかでもいいかも知れない。それも、簡単なものじゃなく、田宮の1/35の旧ドイツ軍の88ミリ高射砲みたいに、説明書がないと次にどの部品をつけたらいいのかわからないようなレベルのやつ。ま、そこまで自閉症的でなくても、ふたりで凝った料理を一緒につくる、とかいうのでも、楽しそうです。

こういう話は、本当は諸先輩方にいろいろと伺いたいですねー。奥様と始めてデートに行かれたとき、どういう企画内容だったのか、などというのは、我々独身者には、とてもとても貴重な参考資料になる、と思います。


© 1993 ISHIKAWA Hajime