衒学者の回廊/滞米中の言の葉(1993-1994)

日常生活へのカギ

石川 初

僕が最も頻繁に着用するズボンのポケットに、穴が開いていることを、突然、それもかなり情けないやりかたで発見しました。

朝、出社すべくアパートを出て、路上駐車してあった車のところまで来て、ポケットに入れた鍵がないことに気が付きました。右ポケットに大穴が開いていて、部屋の鍵から郵便受けの鍵から車のイグニッションまでじゃらじゃらと束にしてあるやつを落したまま、ドアをロックして出てきてしまったのです。合鍵はオフィスにおいてあります。あわてて1ブロック先の友人の家まで走ってゆき、運良くちょうど出かけるところを捕まえて、彼の車に同乗させてもらいました。

実は同じようなことを、以前に住んでいたアパートでもしたことがある。ドアの前で呆然としていると、上の階の住人の青年が助けてくれ、「ナイフを使って窓の鍵をこじ開けてしまう方法」(!)というのを教えてくれました。まあ不用心な話しではありますが、セントルイスならではです。おそらくニューヨークあたりではこんなことは考えられない。

ニューヨークで何年も一人暮しをしている僕の友人がいます。彼はセントルイスへ遊びに来て、なんと僕の部屋に彼のニューヨークのアパートの鍵を忘れて帰る、という信じ難いことをしたことがあります。言うまでもなく、ニューヨークとセントルイスでは、「御近所」に分配してあるつき合いや信用の量 が全然違います。アパートの建物のガードマンですら合鍵など持っていないし、ナイフでこじ開けられるようなヤワな構造のセキュリティでもない。しかも、唯一、合鍵を持っているはずの彼のガールフレンドは研修か何かのために遥かジョージア州に出かけている、という、泣いちゃうような状況で、ブルックリンにあるガールフレンドの両親の家から「速達郵便だとセントルイスから1日で着くだろうか?」という、絶望に満ちた電話がかかってきました。

翌日、まあ実に運のいいことに、HOKニューヨーク支店に出張する人がいることがわかり、その人に頼んで届けてもらい、事なきを得ました。

今度、新しく引っ越したアパートには、セキュリティアラームというのが装備されています。オンにしておくと、ドアだろうが窓だろうが、開けてから40秒以内に暗唱番号を入力して解除しないと、警備会社が確認の電話をよこします。アラーム解除の暗唱番号の他に、僕自身であることを警備会社に保証するIDコード、というのがあります。電話でそれをすらすらと言えないでいると、警察に連絡がいくわけです。やってきた警官は、僕自身が「いや、いまのは間違いです」と弁明しても、手続きとしてアパート内を捜索するそうです。それで、改めて間違いだったとはっきりしたら、罰金(100ドルだか)を支払うはめになります。

さらに、寝室には日常用ボタン、というのがあって、これは有無を言わさずパトカーが飛んでくるという恐るべき装置です。やれやれ、まあ用心に越したことはない。


© 1993 ISHIKAWA Hajime