衒学者の回廊/滞米中の言の葉(1993-1994)

東京に文化というものが

石川 初

東京に文化というものがあるだろうか。

たとえば、東京と京都をくらべたとき、東京の歴史の浅さは明白である。文化、というような、定義の難しい概念までに掘り下げて考えようとしなくても、街の様子、建物の古さ、その地域に住む住民の集団としてのキャラクター、などを一瞥するに、京都は実に著しく京都的である。「京都的」という言葉がまったくある種の特定の色を表すように使えるほど、京都の個性ははっきりしている。ひるがえって、東京的という言葉を使うと、なんとなくそれは「都会的」とか「先進的」というような、特定の文化というよりは「洗練された」とか「合理的な」というような、より多くの人の納得を得て選ばれたものを指すような概念に聞こえてしまう。

実際に、東京とはそうしたものであり、東京が近年果たしてきた役割とはそのようなものであった。明治維新のとき、あるいはそれ以前に徳川幕府があらたな政治機構の首府として旧弊な慣習や社会のしがらみを振り切るように当時はまったく田舎の前線であった関東平野の海岸を選んだのは、それまでの歴史や文化の重圧を断ち切って一から新しい体制を築くことを可能にしたという意味で、きわめて効果 的だったのである。

そのように、人工的に「政治機構としての都市」をつくったために、東京の原風景的な文化、おそらくは大和政権が蹂躙する以前に関東に定着していた原住民達の文化、というものは消しさられてしまっている。

では、東京に「京都らしさ」と同じような意味での 「東京らしさ」というものがないか?というと、ここには議論の余地がある。ここで詳しく述べることはしないが、漠然とした印象で語ることをしばしやめて、少しばかり注意深く観察すれば、東京の文化としかいいようがないものは散見することができる。

日本中の人達が様々な地方からいまだに集まりつつあるために、それは見えにくくなってはいるのだけれども、一言で切り取ることが容易ではないということが、日暮里や杉並や青山や不忍や浅草の、あの東京以外どこにも考えられないような色と味の「文化としての価値」を減じさせるものではいささかもない。

 

アメリカに文化というものが

アメリカに文化というものがあるだろうか。

たとえば、アメリカと日本をくらべたとき、アメリカの歴史の浅さは明白である。文化、というような、定義の難しい概念までに掘り下げて考えようとしなくても、街の様子、建物の古さ、その地域に住む住民の集団としてのキャラクター、などを一瞥するに、日本は実に著しく日本的である。「日本的」という言葉がまったくある種の特定の色を表すように使えるほど、日本の個性ははっきりしている。ひるがえって、アメリカ的という言葉を使うと、なんとなくそれは「都会的」とか「先進的」というような、特定の文化というよりは「洗練された」とか「合理的な」というような、より多くの人の納得を得て選ばれたものを指すような概念に聞こえてしまう。

実際に、アメリカとはそうしたものであり、アメリカが近年果たしてきた役割とはそのようなものであった。アメリカ独立のとき、あるいはそれ以前に西ヨーロッパのある種の人びとがあらたな政治機構の経済的国家として旧弊な慣習や社会のしがらみを振り切るように当時はまったく田舎の前線であった新大陸を選んだのは、それまでの歴史や文化の重圧を断ち切って一から新しい体制を築くことを可能にしたという意味で、きわめて効果 的だったのである。

そのように、人工的に「政治機構としての都市」をつくったために、アメリカの原風景的な文化、おそらくはヨーロッパ人が蹂躙する以前にアメリカ大陸に定着していた原住民達の文化、というものは消しさられてしまっている。

では、アメリカに「日本らしさ」と同じような意味での 「アメリカらしさ」というものがないか?というと、ここには議論の余地がある。ここで詳しく述べることはしないが、漠然とした印象で語ることをしばしやめて、少しばかり注意深く観察すれば、アメリカの文化としかいいようがないものは散見することができる。

世界中の人達が様々な地域文化をもっていまだに集まりつつあるために、それは見えにくくなってはいるのだけれども、一言で切り取ることが容易ではないということが、ニューオリンズやサンフランシスコやセントルイスやシカゴやニューヨークの、あのアメリカ以外どこにも考えられないような色と味の「文化としての価値」を減じさせるものではいささかもない。


© 1993 ISHIKAWA Hajime