衒学者の回廊/滞米中の言の葉(1993-1994)

熟練か専門か

日本には専門家がいない。一人一人に生きるための熟練が要求されており、それが出来ないということは、「おとなでない」に等しいわけだから、人はしゃかりきになってすべてのことについて「マチュア」たろうと努力するのである。その努力が日本人の器用さの源になっていると思う。「○○ばか」は本当の意味では尊敬されない。 (December 15, 1993)


推敲と拡張の試み(May 1, 2000)
ここで語られていることには多くの経験的な推論があり、根拠を示すことは簡単ではない。また、ここで語られていることには、「それだから、どうなんだ」というような「良い、悪い」の価値判断を挟んでいないつもりである。

日本では日常を生きるための熟練が一人一人に要求されている。習熟できないということは、この国において「おとなにならない」に等しい。そのようなわけで人はしゃかりきになってすべてのことについて「おとな(mature)」たろうと努力するのである。この国には、正しい箸の使い方から正しい首都高速の走り方まで、初心者や「部外者」には到底想像もできないようなルールと作法があり、それに習熟していないということは単に「初心者」に過ぎないばかりでなく、人間として「未熟(amature)」であり、「まだまだ習熟の余地がある」と見なされる。

このように初心者にきびしい風土では、その共同体の構成員をより高度な熟練の獲得に駆り立てるであろう。その努力が日本人の器用さの源になっている、と結論に飛躍したくもなるほどである。こうした共同体においては、多くの構成員が相当に広い分野における、いわば「素人専門家」(アマチュアのエキスパート)になる高い可能性をもち、あるいは「専門家的な素人」(プロフェッショナルなアマチュア)を育てる要因になっているのではないか。それぞれが習熟してくると、どのように首都高速を走るか、ということに各人それなりの蘊蓄を傾けることさえ可能になるのである(そんなことで競い合う人は私の友人の中にはいない、と一応断っておこう)。

一方、こうした共同体には「○○ばか」と呼ばれるような専門家が肩身の狭い思いをする土壌があると言えるかもしれない。すなわちジェネラリストが尊重され、スペシャリストが低く見られるという傾向の存在である。あるいは、専門家の存在の意味や、それが共同体において何故必要になったのかという理由がまだよく理解されていないのではないか。もちろん、ここでもそのことの善悪を判断しまい。多くの人が、広い分野において「習熟した」人間たろう、とする文化的伝統があるのはそれはそれで良いことと言えるかもしれないし、逆に言えば、余りにも広い領域おいて完全なエキスパートたり得ないとするならば、どこかで専門家の専門的追究を尊重し耳を傾けてみるべき時があってもそれができない、ということを意味するかもしれない。

昔は「何にでも一番になりなさい」と子供に語りかける親が多くいたと思う。ピアノを弾けばピアノで一番、絵を描けば絵で一番、走れば一番足が速く、テニスをすれば全校で一番、という風に。親がそのように子供に言わなくても、このような何でも一番でなければ気が済まない子供が必ずクラスに何人かはいたように思う。いわゆる武家の家庭にあったであろう「文武両道」のスローガンの延長上にある教育思想の賜物なのかもしれない。

こうしたジェネラリスト養成の文化的土壌というものは、今日日本でも急速に失われつつあるかもしれない。専門家を評価しない文化的土壌において、「専門化」への反動が起きつつある。あるいは、一度も専門の細分化の意味を知ることのなかった日本人がようやく始めて、その意味に目覚めつつある、と言うべきなのかもしれない。すなわち、ことに経済活動におけるボーダーレスの競争の局面 で、専門知識をより先鋭化させていく必要があり、いわば取らざるを得ない教育方針の転換なのであろう。

(ここへ来て始めて価値判断のようなことを試みるとすれば、)これはことによると我々の不幸な状態への傾斜なのかもしれない。「得意な分野を見つけて伸ばす」ように言う、世間一般 の「専門化の運動」は、個性尊重のトレンドとも相まってそれをネガティブに語る人はわれわれの間にも余りいないように思う。しかし、すべてにおいてエキスパートたろうと努力する文化的土壌がいったん失われてしまうと、そこからは幅広い観点でものを把握したり判断したりすることが困難になるに違いない。

日本には専門家と言いうる人がほとんどいなかった。いる必要がなかったのである。生きるために発展させていかなければならない技術は、ゆっくりと時間をかけて大人になるまでに身につけていけばよい。年を重ねる毎に「年の功」も積み重なっていき、よほどのことがない限り、ある程度の年齢に到達すれば、自然と生きるためのノウハウが身に付いているはずである。体を鍛え、精神を陶冶し、教養を高め、物事の道理を理解できる知性を育み、「来るべき事態」に対処できるような人間になっておけばよい、というのが教育方針だった。非常に曖昧で、「何をしたら、そうなれるの?」というような具体性のない行動の指針だが、それがある時代ならば疑いもなく「精進して目指しうる人間のあるべき姿」であったのだ。いずれにしても日本における何でも屋(ジェネラリスト)は、日増しに有り難がられなくなっているのだ。

(石川君の「達人への希求」に飛ぶ)


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