衒学者の回廊/滞米中の言の葉(1993-1994)

昔話の歴史

石川 初

アメリカの歴史は浅い、という文句を日本でよく口にした。アメリカの文化を論じるとき、その数百年という新しさや、おそらくそこから派生する食文化の軽薄さなどを以て、2千年以上の歴史と独自の文化を持っている、と思い込んでいた日本を誇りに思おうとしていたのだ。これはアメリカコンプレックスとでもいうべき気持ちの裏返しであったかも知れない。しかしいま、アメリカに身を置いて生活しながら考えることは、アメリカでどれほど歴史や文化が大切にされ、それらを日常生活の中ですら感じることができ、ひるがえって日本の中で如何に「歴史」や「文化」を感じることが難しかったか、ということである。

僕が初めて歴史という物を身近に感じ、時間や文化の重みのようなものを実感したのは、小学生のとき、調布の富士見台小学校の校庭の桜の樹々が、あれは自分達が卒業するときに植えたのだと母が教えてくれたときのことだ。そのとき、僕は非常にびっくりした。それまで、町や建物や樹々や車や、そういう大きくて固いものについて、それはただ漠然といつからかそこに有るものであって、自分の生活とはあまり関わりのあるものではなかったからだ。それが、まるで道に迷っていて突然自分が見馴れた町を歩いている事に気が付いたように、「自分が生まれる前からそこに有ったものたち」が身近に感じられるようになったのだ。これはその後、学校の教室での日本史や世界史の授業からはついに得られなかった感動だった。

詰るところ、歴史を学ぶ事から僕らが得るものはそれぞれ自分の世界観を形成する手がかりに他ならないが、教科書の中の歴史はそれだけでは他人事であり、それがあってもなくても現在の自分の生に変わりはないように思えてしまう。歴史の教科書の巻末に掲載されている年表には自分の生が不在なのだ。

連綿と積み重ねられてきた人類の歴史を、自分の生がその延長にあるということ、つまり歴史というものが自分と無関係ではないということを知るには、おそらく、まず親や家族や故郷の町や、そういう身近なものから時間の重み感じとることが始まりなのではないだろうか。そのときに育んだ気持ちは、より広範囲の歴史を学ぶ際にもそれらを身近に感じる、つまり遡って自分の延長として捉えるという態度を可能にするだろうからだ。歴史は専門家がある期間毎に整理して編集する年表ではなく、人びとのささやかな生活の営みの延々たる積み重ねなのである。

米国は西洋型国家としての歴史は他の西洋諸国に比べれば確かに浅い。しかし、歴史というものに対してそれは自分達の現在の生活に他ならないという認識はしっかりとある。この、「自分達が歴史を創り、それを後世にも伝え残していくのだ」という態度は国中至るところにあふれている「歴史的記念物」に反映されている。それは首都の壮大なモニュメントや建築物群だけでなく、小さな民家や墓地にまで及んでいる。これは歴史を身近に感じるという意味で非常に重要な事だと思う。「大切なものを残していこうとする」という態度が文化としてある土壌、そういう環境でなら伝わるべきものは伝わって行く。例えばその中に含まれているメッセージも何かの形で伝えられて行くのだ。

『シーシュポスの職人たち』に飛ぶ


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