衒学者の回廊/滞米中の言の葉(1993-1994)

外に向かう音と内に向かう音

それらは同じ音楽という形態を持ちながら、まったく異質なものである。

その両方に私は興味を持ちつつ、まったく異なったものであるということを認識しつつ、私はそれらを行おうとするものである。

私が教会でオーボエを吹くときその静かな音は外に向かう。 私は自分の音を聴く。 人はそれを音楽と呼ぶことがある。

私がピアノに向かい、鍵盤を叩くとき、そのやかましい音は内に向かう。 私は自分の内部に潜む情念、音により火を付けられた新たな狂喜と熱情、に耳を傾ける。 それは音楽以前かも知れぬ。これこそが音楽と呼ばれるものかも知れぬ。

といえば、分かるであろうか。この全く異なるものをひとつの言葉で簡単に理解してしまわないために、私は「音」に関わっている、ということにしよう。


© 1993 Archivelago