衒学者の回廊/滞米中の言の葉(1993-1994)

哲学者の道から流氷を見る

1月23日、私はヤオハンで買い物すべく「哲学者の道」をマイクロバスに揺られていた。(こんな始まりじゃ、全然ドラマにならない。だがまあいい。)

まず初めに、「哲学者の道」とは、マンハッタンの摩天楼が一望に出来る、ニュージャージー州側のハドソン川沿いの道のことである、などというのは、まあ、私がそう言っているだけだが。90年にハイデルベルク訪ねたとき、朱色の煉瓦屋根で埋め尽くされた同旧市街を一望に出来る、「川向こう」の小路を歩いた。その道こそ「フィロソッフェンヴェフ/哲学者の道」なのだが、私はいつもヤオハンに行く際、この道を通 る度に、これこそ現代の「本物のテツガクシャの道」だな、と思うのだ。元祖「哲学者の道」を歩いた人なら、そのマンハッタンを一望する道路を同じように思うに違いない。

なぜ摩天楼を一望できる道が「テツガクシャの道」なのか、そういう質問はしないことだ。

毎回ここを通る度に(とは言っても年に5、6回だが)、この道については書こう書こうと思っていたのだが、今一つ、エッセイをドラマチックにする付随的要素が見つからなくて、書かず仕舞いだったのだ。しかしその日、アメリカ建国以来!(うそばっか)とも言うような寒波に見舞われていた合衆国北東部、ニューヨーク・マンハッタンにはかつて島民が誰も見たことのない(これも嘘!)ような光景が展開していた。

マンハッタン島は正に氷で閉じ込められていた。ハドソンとイースト・リバーの両川は流氷で覆われ、所によっては足で走ればニュージャージーからマンハッタンまで渡れるのではと思えるように(もちろんじょうだんだよ)、両岸は氷で繋がっていたのだ。歩いて渡れるなら、「閉じ込められた」という言い方は適当でなかったかも知れない。それは言葉の彩 だよ、あや。

私はそもそもこのように寒い冬は生まれてこのかた経験したことがないなら、流氷を見たのも初めてだ。りゅうひょうだぞ。ヤオハンから帰るとき、マンハッタンの西岸のリバーサイド・ドライブウエーを走ってもらったが、ハドソン川に最も近付いたとき、私はヨット・ハーバー付近で、氷が押し合った結果 、盛り上がって割れた部分を目撃した。

普段、島外から眺めるマンハッタンは生き生きと街の呼吸が感じられる部分がある。特に夜景ともなれば、街の明りによって人の営みが、明瞭に把握することができるというものだ。その日も島は生きていたはずなのに、白いマンハッタンと言うものは、息をしているようにはまったく見えなかった。島民は、皆冬眠に入っていたかのようにも思えた。洒落じゃないぞ!(現に、ヤオハンに行って、友達に会おう、と決心するまでは、私もほとんど冬眠に近い生活をしていたのだ。睡眠は12時間取っても足らず、起きても飲んだり食べたりするくらいで、何かアクティブなことをしようと言う気にはなれないのだ。きっとみんなもそうだろう。ワシントンDCでは、暖房費の節約を理由に役所が閉まったそうだ。なんという冬だ。)

私は今、「白いマンハッタン」と言ったが、その白は清潔や純潔の白ではなく、汚らしく人工物に付着した雪や氷のくすんだ白だ。表現こそ詩的ではあるが、美しいものではなかった。そのくすんだ白は、むしろ街が荒んでいるのを強調するのに十分であった。

フランスの文芸家ジュール・ルナールの『博物誌』に「よごれた白百合ほどきたないものはない」という叙情詩がある(たった1行だがね)。私は、とっさに「よごれた雪ほどきたないものはない」「白く厚化粧をした昼の街ほどみにくいものはない」という二文を思い付いた。 化粧をして人を魅了するには、年齢が若すぎる。明るすぎる。年齢を重ねることや、若さ自体が美しさやみにくさを決定しないことくらい知っている。明るい日の下で、街が生き生きとしていることだってある。ふさわしいところにふさわしいもの。いや、この場合の不相応とは、夜用の化粧をした女の顔を、翌日、昼のあかりの下で再び見てしまった!ようなもの、かも知れない。

白く雪で化粧された街を夜のあかりの下で見るのは、ロマンチックである(しかしいやな言葉だな、ロマンチックなんて。だから、私が「ロマンティック」という時は別 の意味があるんだぜ)。しかし、昼の太陽の下で同じ街を見ても、よごれた街とそれに対照的な雪の白、あるいは街のほこりで汚れた雪の白を拝まなければならないのだ。「ふさわしさ・不相応」というものが、どのようにして決まるのか、私は知らない。が、あのマンハッタンの部分的に古びた、そしてまた部分的にはきわめて若くモダンなビル群が、一様に白く凍り付いて息を止めているのを昼日中から見るのは、私が今までに経験したことのないほど不気味なものであった。それはひょっとすると、美しさと、醜さの異常な混在から来るものなのかも知れなかった。

いずれにせよ、私は氷で繋がっており、まるでスケートでマンハッタンに帰れそうなハドソン川(これも誇張)を、車窓より眺めていた。車中から見たとき、川の氷は静止しているようであったが、バスが止まったとき、実は下流へとゆっくり流れているのを認めることができた。氷の下にはそれでも流れる水の存在があった。

これが本格的な氷河期ということになると、川底まで凍り付く訳で、目で見て氷が下流に押し流れているのを認めるには、数千年もの間、息を止めていられるほどの忍耐と能力が必要だろう。いずれにせよ、私が目の当たりにしている、人が建物をおっ立ててしまった、このボートのように長い島自体も長い氷河期の間に巨大な氷塊とともに上流から流されてきたものらしい。でも、今回私は自分が見たあの「りゅうひょう」ぐらいでは島全体を押し流すには十分でないな、と思った。

白い氷のマンハッタンに合掌。


© 1994 Archivelago