衒学者の回廊/滞米中の言の葉(1993-1994)

支配者と音楽

支配者にとっての音楽、それは音を強引にでもコントロールし、荒々しくも音を自分に従わせるという行為である。あるいは支配的傾向のある者にとっての音楽、と言うべきだったかも知れない。ともかく、それが私にとっての音楽というものの総てであった。

支配者のための音楽であるからには、その音は不服従的なものであるほど良い。そこで、荒々しいアクセントや従いにくい不規則なリズム、そして泥の中から鮮やかな「緑」を捜し出すことが困難なように、不協和なハーモニーの中から強引に意味性を見いだす方が支配的傾向のある人にとっては好まれるのであった。猛獣にたいする調教の方が努力し甲斐があるというもので、それを従わせているときの快感といったらない。

そんなわけで、長いこと私はよりドラマチックなものを求めて、音楽の森をまるで獲物に飢えた狩人の様に音楽を求めてさ迷い回ったのである。それはある意味で現在も続いている。様々の音楽も聴き、音楽にたいするテーストが変ったこともある。また、異なった種類の音楽にたいする理解も得、様々の美の形態も知ることが出来た。そしてそれらにたいする限りない憧れの感情すら在る。

しかし、自分が一度はやってみたいものと、自分が出来ることは、結構異なるものである。

自分の世界が広がって、理解可能なものが増えると云うことは悪いことではない。多分、世界の多様な在り方に対して寛容であることが出来るようになったのかもしれない。しかし、自分が表現者としての立場に帰るとき、自分に何が出来、何に向いているかという自分の傾向を考慮することは決して、意味のないことではない。いや、実際自分の傾向を考慮し、把握することは表現者にとって必要不可欠なことであろう。

確かに私は音楽の森で、期待していたのと違うが「愛らしく」、捕まえて家に連れて帰るには「かわいそうな」音楽たち、がいるのを知った。人にも知られたくないような純粋で素朴な音楽たち。音楽には、自分が求め従わせる以外の種類のものがあり、むしろ人々はそういったものに惹かれている。こんなことも遅ればせに知った。自分の表現傾向や自分の持っている気性などが、恨めしく感じられる瞬間さえ、かつてはあった(留学直後)。しかし、実際に楽器を手にしたり、鍵盤に向かうとき、自分が衝動的に表現したくなるものとは、(勿論、日々微妙に異なるものの)ある種の限定された感情であったり、何か大きなもの、荒々しいものであったりするのだ。

ここで表現というものに付きものの、必然性というものが問題になる。私はかつて「実質的・絶対的・無条件に芸術が存在し得る」と考えていた頃から、表現は観念的に頭で考えられたものでなく、必然的な動機、言い替えれば、「やむにやまれぬ 表現への渇望がなければならない」と感じていた。バンドを結成してからどんな内容の歌詞を唄うか、どんな音楽をすることにするか、などを考えるようなあり方や、楽団をなにゆえに結成するのか、というような、グループ結成に先立つたぐいの観念的論争などに本能的な反発があった。(というのは、身近にそういう観念的論争に明け暮れる人がいたからである。)とにかく音を出したいというその根源的理由だけが真実味を持っていた。あるいは唄いたい内容(メッセージ)が最初にあるフォーク歌手たちなどに、(音楽的に私の趣味ではないものの)ある種の尊敬を感じることが出来たものだった(高校生の時期)。

しかし、音楽に関わる動機には大きく分けてふたつのものがある。訴えたいこと以前に音楽、あるいは音を出したいという根源的な欲求がある場合。一方、観念的に表現したい内容、すなわち訴えたいこと(メッセージ)が音楽以前にある場合。

「音楽する衝動」と「訴えたいこと」という二つがもし個別に存在するとしたら、それぞれのどちらが手段となり、目的になるかが人によって、もしくは状況によって変ることになる。訴えたいことが音楽以前にある人も、音を出したいという根源的な欲求がある人も、「表現への渇望」が存在するという点では、実は同じかも知れない。こうした2つの音楽への関わり方を認めることができたこと自体が、私にとって大きな変化であった。

私はと言えば、察していただけるかも知れないが、音を出したいという根源的な理由が、最初にあった。 つづく。


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