衒学者の回廊/滞米中の言の葉(1993-1994)

妊娠10ヶ月

妊娠10ケ月は十分だった。妊娠10ケ月の私はようやく何かを産み落とした。今回生まれた私の音楽、これから育てていかなければならない私の子供だ。

私は昨年の「レント」以降、まったくと言ってよいほど、楽器を手にしなかった。それから今年の頭になるまでのこの10ケ月もの間、私がやっていたことは、ひたすら音楽を聴くという事だった。しかも、実は私はそれを本当に心から愛すると言うやり方以外では、何もやらなかったし、今回の私の聞き方は、私のなかにある音楽を引き出すために、避けることのできないある過程のようなものだった。体の中でうずうずと高まっていたある確信を、自分の言葉で表すようにするための「言葉の訓練」のような期間だったのだ。

私は赤ん坊のとき、なかなか言葉を覚えず、何時までも喋らなかったらしいが、喋り始めてからが凄かったらしいが。言葉を自分のものにするまでは、喋りたくなかったのだろう。告白すれば、私はオーボエで本当に自分の言葉を喋ったことは、ほとんどなかったのだ。私は、音を起てていた(それは犬の遠吠えと私は呼んでいた)が、ようやく人間の言葉を喋り始めた、と言って良いほどの変革であったのだ。

いや、基本が「獣の遠吠え」であると言う根本認識は変わっていないが、その上で、何かを動かすための「力の行為」となってきた、という事なのだ。何も動かさない「犬の遠吠え」を、「岩を動かし、大木をへし曲げるほどの風のような獣の雄叫び」にするという作業である。

学校でオーボエのレッスンを受けていたときは、私は楽器の鳴らし方に関してのレクチャーを受けていたに過ぎなかった。それは、お世辞にも「音楽のレッスン」と言うのには程遠かった。メロディーやフレーズに関するレッスンも、それはいかにして音楽をするか、という事ではなく、いかにして音を形にするか、という事であった。音楽を完全に「或る形」として捉え、それを越えるものではなかった。そういった「外面 」に囚われたアプローチを止めない以上、我々は「本当に音楽をする」ことは出来ない。音楽は「生活」そのものであって、外部から与えられた「仕事」ではない。学校で学べる音楽に関することとは、「仕事としての形作り」である。どのようにそれを楽しむのか、どのようにしたらそれを楽しめるのか、と言う最も重要なことは誰も語らない。いや、むしろ誰も知らない、と言うべきだろう。楽しんでいるフリをすることは出来ても、あの「音」では楽しめるはずがないのだ。少なくとも「音楽」を探しているものの目や耳を欺くことは出来ない。

形で成す音楽は、「死んだ人間の顔に化粧をする」ようなもので、生きたものではない。死化粧でいくら美しく見せても、死んだ肉体であるのには変わりがない。形で成す音楽は、どこにも行かず、演奏者はどこにもいけない。そこにあってある、食えないマグロのようなものである。死化粧で美しい顔ほど、食えないものはない。たくさんだが、世の音楽には、そのようなものが多すぎる。

一方、本当の音楽は、先ほども言及したように、岩を動かすような力の行為である。重いものを押して生き、その対象が勢いを増してくるようなもので、まったく以て物理の法則を反映したのもである。死んだ音楽にはそうした物理の法則が見あたらない。重いものを押し動かすようなダイナミズムも感じられない。


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