衒学者の回廊/滞米中の言の葉(1993-1994)

鯨と共にいきる

「本物の狩猟民族」とは何か考える〜 NHKドキュメンタリーを見て

やせた犬と勇敢で精悍な男たちとそれを待つ女たちだけが住む村、ラマレラ。神からの贈り物をまったく余すところなく活かして生き続ける人々がいる。鯨が日々の暮らしを支える唯一の糧であるその村人たちは、鯨がとれたその日も、お祝いに鯨が振る舞われることはない。

鯨を獲るに当たってはさまざまな厳しいルールがある。

その一つに、鯨獲りに出かけて沖合いで鯨を目撃しても、それを指で差してはいけない、というものがある。鯨を指で差すと、神の怒りに触れるというのだ。鯨は神の使いだという思想があるのだ。

また、とれた鯨の分配という問題にも、伝統的なルールが生きている。銛でとどめを撃ったラマファー(銛撃ち)の乗った船の乗組員の家族には、優先的に良い部分が与えられるほか、村人全員に行き渡るように分配するのも忘れない。彼らは400年前にインドネシアのその海峡付近にたどり着いて定住した訳だが、そこに住まわせてもらう代わりにかれらは、いまだに丘にすむ先住民の村に鯨の上半分を献上しているのだ(かれらは鯨を獲ることだけが、役割なので当然のことながら海岸近くに住んでいる)。それは分配のルールの中に厳然と生きている。

1漕の船に乗る人員の数まで決まっている。最大13人で1漕の船に7人以上集まらない場合、その船は漁に出ることが許されない。常に船団で活動するので、1漕の船が遅れると足手まといになるのだ。それほどに人力のみに頼っているのだ。そうした訳で、鯨の漁は完全な人と鯨の戦いとなる。そして、1漕の船に積む銛の数まで7本と決まっている。それ程までして彼らは何を守っているのだろう。

年に10頭ほどの鯨しか獲らない(獲れない)そのラマレラ村の人々は、捕鯨の近代化の勧めも拒否した。国連がラマレラ村の人々の捕鯨活動に調査隊を送り、その捕鯨が『生存捕鯨』であると認められたととき、国連は、近代捕鯨の技術を伝え、それを使うことを許した。しかし、それは2年余り使われたあと、放棄された。日本製のエンジンをつけ、砲を装備した捕鯨船で、鯨が一日に3頭も獲れることを知った村の人々は、最初それに驚いたが、まもなく鯨自体が少なくなることを知り、それを神の作った調和を破壊すると判断し、自主的に放棄したのだ。

4,000年以上前の石器時代の昔から、ノルウェーの洞窟壁画に鯨獲りが描かれていると言い、鯨と人間の関係は実に遠くまで逆登れる。特に、厳しい自然の風土に生きる民族の食の支えに、現在でもなっている。アラスカやグリーンランドのイヌイットや北極圏ロシアの少数民族にも鯨獲りの習慣があるという。そしてこのラマレラの人々も生存捕鯨を行っている。

なぜ、捕鯨がそれ程までに憎まれ、弾劾の対象になったのか、ということの答えの一つが、ラマレラの人々の鯨に対する考え方で、説明できるかもしれない。(「牛を殺すのと同じレベルで実は鯨を考えることは出来ない」としても、それはある意味で不当ではないかもしれないのだ。Anyway...)彼らは完全なる人力で鯨を追うので、鯨のほうが早く逃げれば、沖まで追いかけていくことはできない。ラマレラの人々も全力で追いかけるが、鯨も全力で逃げる。当然、人間の彼らの力にも限界はある。その限界が、鯨自身の生存と村の人々の生存を同時可能にしており、そこに絶妙なバランスが生じる。近代的装備を付けて、沖までも執拗に追いかけていくことができる近代捕鯨は、確かに鯨を獲ることで余剰生産物とでもいう必要以上の漁を可能にする。つまり、自然の供給を無視した捕鯨とも言うべきものだ。当然、海から鯨はいなくなる。どんなに頑張っても、1年に10頭の鯨しか獲れない、というその自然界と村の人々との間の事情が人類と自然の調和的生存の鍵なのである。

彼らは漁に出るごとに、殺生を行うことの許しを神に乞う。ポルトガルの宣教師が訪れて布教をした歴史的経緯があるので、面 白いことに彼らはクリスチャンである。しかし、彼らの信仰はそれは西洋的なキリスト信仰のそれではなく、あくまでも自然を神とするアニミズムのキリスト教的バリエーションに過ぎない。私の目には、鯨こそが彼らの信仰の対象であり、漁の対象でもある、と見えた。「鯨を見てもその姿を指で差してはいけない、差したら縁起が悪い」というルールも鯨に対する敬意や、説明の難しい何か深遠な理由があるのではないか、という風に思えた。

鯨が獲れるのは5月から9月の間がほとんどで、他のほぼ半年の期間は鯨が獲れない。その半年間を生き抜くために鯨の干し肉が必需品となる。そのほか、鯨の干し肉は他の農作物と交換するための経済的交換手段ともなる。鯨の干し肉一切れが、トウモロコシかバナナか芋のいずれか12個分という交換レートがあり、それは太古の昔から代わっていないという。物物交換のため数百年間インフレもない。

わたしはこのラマレラ村の生き様の中に、「本当の自然との調和」という解決の難しい問題の答えの一つがあるように思えた。もちろん、NHKはそこまで押し付けがましいメッセージを挿入したりはしなかったが。「自分たちが生きていくために必要なもの以上は獲らない」というやり方のほかに「自然と調和していく方法」など、ない。

村の人口は増えることがない。繁栄もない。しかし、かれらに滅びもない。


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