衒学者の回廊/園丁の帰国直後の言の葉:1994-1999

規制緩和という名の権力者の没落
June 21, 2000
 
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所詮われわれはルールがあってこそ人間であり得た。(とまずはさておき布石を打っておく)

ひとを人間たらしめるルールとは一体何のことだったのか? たとえば、「新石器時代」以前の計画生産を採用しなかった時代において、土地を所有しようとし、所有した土地を耕し、その地に種を蒔き、自分たちの食べるものを自分たちで確保する、という農耕に関わる諸活動は明らかなルール違反だった。土地を所有しようなどは神をも恐れぬ行為であったに違いないのである。逆に言えば、今日自分が食べるものは今日調達する、それが(そう呼んで良いなら)「旧石器時代」の人々のルールであった。「今日のことは神様の思し召しのまま、明日など思い煩いません」というのが伝統的な正しい人生への態度だった、あるいはそういう認識を保持すべきだと代々教えられていた。でも誰のものでもないはずの土地を所有し、その権利を主張する!などという行為は、土地の所有の観念もないひとたちからしてみれば、「貪欲」以外の何ものでもなかった(それは旧約のカインとアベルのエピソードが端的に象徴化している。)にもかかわらず、「耕した土地に対する耕作者の権利は自然法である」という伝統法からの逸脱があるとき行われたのだ。わたしはこれをアダム以降カイン以前のどこぞの時代のおそらく人類社会で起きた初めての「規制緩和」と考える。

農耕が生じて、それが「正当な生活態度」であるという考えがある土地で定着する。今度は自分たちが食べる以上の食物の確保が可能となる。こうした余剰生産物がさらには「ユリイカ!交換手段となるゾ」と気がついた。自分たちで食べられる以上の食物は、魚と交換できる。焼き物と交換できる。そのときもまた、彼らの食糧の安全保障を蔑ろにするアイデアであると考えて、タブー視せよとの運動も起きたかも知れない(わしらが喰うためにこさえたものをよそのたれともわからん奴らのやくにもたたないものとトリカエッコなんてそんなとんでもねえ)。しかし、取りあえず、当面のよりよい生活のためには、そういう規制も緩和しなければならない。時代の趨勢のために結局は保守派も折れたに違いない。「うん、色々心配はしたけど、使ってみるとこの刃物は結構イケる。来年の収穫はもっと楽になるに違えねえ。」

むろん改革勢力の<実力行使>の前に頑固な老人達は押し切られただけかも知れないが。そうして、無事、穀物は交換手段となり、余剰穀物の量によってその個人や部族間の財産に差が生じ始めた。交換手段である穀物を質をなるべく落とさずにたくさん保持できたものは裕福になり、生活必需品以外のものをたくさん所有することにもなっただろう。それを持たないものは、持てる者のために奉公するしかない。いわゆる「実力の差」というヤツである。

さて次の段階は、「食べることのできないもの」を使っての交換手段への移行である。「そんなおめえ、こんな喰えねえもの出して俺のつくった衣とトッカエロったって困るぜよ」というように、この新しい「なんでもあり」のルールにも当然抵抗があったに違いない。その新しい交換手段、すなわち貨幣の提唱に対しては、最初は人々による自発的な参加もあったに違いなく、不便を覚悟で生きていこうと思っていた人々にとっては、この貨幣を使った生活を「リスクの大きい愚挙」と映ったことであろう。でも「こんな重い俵あっちこっちにいちいち運んでトッカエッコもなかろう。この軽い金属片をちょっと抱えて遠くに行けば商いもできるし、生まれてこのかた見たこともねえようなモノともトッカエッコできるんよ」という説明に「なるほど便利だ」と納得する筋もあったはずだ(特に商いの才覚のある人々にとっては)。

貨幣制度というのは一つの「約束事(規則)」ではあったし、ある程度の強制を伴うものでもあったものの、断じて「交換手段として必ずしも重い俵を運ばなくても好し」という元来の交換手段に対する規制緩和でもあったわけである。もちろん、この「金のひとかけら」に対して「米が一俵」などという交換レートが市場原理で定められたり、権力者がその威光を利用してレートの安定化を保証しなければならない事態もあったかもしれない。そして、もっと大きな事件は、この貨幣というそれ自体が何も産み出さないはずの「交換手段」が、貸し出すことで金利を産み出すという権利者に優しく債務者にきびしいさらなる規制革命をもたらすと誰が予想しただろう。

新たな制度の提唱者と、旧いルール(伝統・しきたり)の意義を無視し去れない者との間には、当然争いがあった。それは拙論『科学は「非オカルト」に昇格したか?』でも現在取り上げているように、一般的には新たな制度を受け入れた者の立場の優位が時間の経過の過程で明らかになると、最終的に必ず保守勢力が同じ制度の受け入れを余儀なくされる。そして結果として、実は制度をめぐる争いが二勢力の発端であったにも関わらず、その制度の「受け入れか破棄か」という当初の二律背反的な争点は不明瞭になり、制度を当然のものとして受け入れた上で二つのグループの「集団としての生き残り」をめぐるより先鋭化された闘争へとシフトしていくのである。当然のことながら、さらに時間が経ちそれぞれのグループの組織理由が完全に失われれば、その境界線を超えて都合の良い場所を求めて行き来する「けじめのない人々」が出てくる。結局はそういった「節操のないノンポリの人々」がマジョリティ(多数派)となり、そのような闘争が繰り広げられたことさえいずれは忘却の彼方へ雲散してしまうのである。所詮一番強いのは、ポリシーを持たない生活者なのであった。

勝つため(生きるため)には止むを得ない、という手段の無差別化こそがまさに現在「規制緩和」の名前で呼ばれていることであり、その方向性は不可逆的に人類史そのものの進んでいく方向でもある。だが、歴史の端々で時折起こる、こうした革新勢力によって撤廃された「旧弊な」規制(規則・禁忌)の再登場という局面もあり得ないわけではない。「局部的な(旧)秩序の回復」である。基本的にそれは規制が緩和されていくという一方通行の流れの中では、「反動」と呼ばれ、勝ち目のないものと多くのひとびとによって認識されている。

そして、「何でもありなんだ、われわれは何をやろうと自由なんだ、その自由競争の中で最強のものが生き残るのが社会として健全なんだ」という一見して正論に思える適者生存の主張が大手を振って歩いているのが当世である。彼らの主張を強化するようなさまざまな論理も今日たくさん横行している。弱肉強食が自然界のすべての局面における理(ことわり)である、というダーウィン流の進化論に根を持つ強者必勝の論理がまさにそれである。さらにたちの悪いことに、こうした「自然淘汰こそが人類の更なる進化をもたらす」という、自然淘汰説の人間の「社会」への適用の正しさを無条件的に信じており、こうした道のりで人類はよりよい存在になれると漠然と考えているのである。

だが、実際に起こっていることは、人類活動の諸分野(ニッチ)における局部的で極端な洗練に過ぎず、よりよい存在に変わっていくどころか、より多くの問題を抱え込む結果になっていく。くりかえすように、新たな制度の提唱者に対しては、恒常的に、その者の提唱する制度(手段)を受け入れることでしか、対等に闘うことができないという悲劇がある。そして最終的な勝者は保守陣営でもなく革新陣営でもなく、新たな制度(手段)自体なのである。銃火器の提唱者に対し、その火器が将来にわたっていかに多くの破壊と悲劇をもたらすものであるかという見通しを示し、理論と想像力を総動員して言論によって闘おうとしても、既にその銃火器類を手に入れてしまった者との闘争で、丸腰(まるごし)の保守陣営が勝利することは百に一つもない。

道具や手段もしくは新概念の発明にともなう制度が人々の間に敵と味方をつくり――制度が何をもたらそうとお構いなしに――当然の事ながらその制度の提唱者たる革新陣営の初戦における優勢によって始まり、制度をめぐる闘争は双方に多くの血を流させたあげく、保守陣営の「制度の受け入れ」という当面の戦術的妥協によって終息する。制度によって分けられた敵味方は、本来の闘争動機から離れて、生きた組織として制度を不可欠な生存の条件として受け入れ、さらに何もなかったのように生存を続けるのである。

いずれにせよ、それは発見された「自然の力」の「人類の生活」への応用を禁止するタブー(禁忌・規制)の緩和、あるいは、いくさのルールの緩和(どんな闘い方をしても良い)と呼ばれるものである。そうした規制の緩和の行き着くところとは、何度も述べているように両陣営の一方の勝利ではない。「新しい制度」という観念の勝利である。しかし、有限の人間の生活環境の中で無限の制度の洗練や無限のチャンスがあり得ないという理由により、その人類の一部が作りだした制度や発明により敗北するのも人類である。人類はみずから創り出した言葉による観念により、刹那的な勝利を得、そして敗北するのである。

さて、権力者が権力者たり得る正当性として、「俺はお前たちを支配するが、その代償として、生きるのに最低限必要な場をお前たちに約束しよう」あるいは「俺はお前たちが不満を感じないだけの最低限必要な生活の場を約束できるので、支配させてもらうぜ」という論理があった。一方、「わたしは最低限必要な生活の場を保証して貰えるのなら、あなたの支配下にあってもいい」あるいは「わたしはあなたの支配者として立てることに意義を申し立てない、最低限必要な生活の場を保証して貰える限りにおいて」と被支配者は納得する。

しかし、こうした支配者と被支配者とのいわばギブアンドテイクの関係さえ今日は省みられないようにさえ見える。権力者が権力者としての責任を放棄しているとしか思えない。そうした諦念と挫折が現在の政治の世界に巣くっている。「政府は企業の経済活動に干渉するべきではなく、企業同士で「公平な競争」が行われるよう、監督すればよい」というような意見が「実力主義」のアメリカの経済界などから出る。彼らは総じて自分たち以外の国々でも同じ様な「公平な競争」が行われるよう各国に要請する。勝つと判っている戦争だからこそ、自分たちのルールを押しつけて「公平な競争をしようよ」と誘ってくるわけだ。かれらにとって得意な土俵で勝負しようというものだから、各国もその明らかに分の悪い条件のなかで勝負に挑まねばならない。実際短期的には新ルールの提唱者は勝利するだろうし、悔しいかな、提唱する側が短い人生の中で「豊かな生活」を享受する機会を獲得するだろう。

くり返すようだが、しかし最後にそうした自由競争の地には真の勝者はいない。われわれの時代には最終的な敗北を先送りし、制度発足の責任から逃れようとする似非権力者しかいない。彼らは世界を彼ら自身の実効的な支配のもとにおくのではなく、新たに爆発的速度で設けられる新制度下での、「自由競争という名の無秩序闘争」の環境にわれわれを曝(さら)そうとしているにすぎないのである。


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