衒学者の回廊/園丁の今の言の葉

沈黙は「金」なり、あるいは「挑戦」的舞台
June 15, 2000
 
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「人生は劇場」で、一人一人が自分の役を演じている、なんてのはシェークスピアか誰だかが言って以来、謂われ続けていることみたいだし、「ふーんそんなもんかね」って感じで実感のない理解をしていた。しかし、誰かが30年間あるひとつの役どころを演じ続けたということになれば、そいつは大した役者だ。

朝鮮半島にいると言われる、その良く知られた「大役者」の6月14日(2000年)のジョークは、思わずそれを演じきる義務から解放された「舞台裏化粧室でのジョーク」のように聞こえた。

かれが表舞台に出てこないために造り出されたイメージは、かれが30年間「演じてきた役どころ」。たくさんの血が流れひとつの民族が別れ別れになると言う「現実のドラマ」があり、それを現実のモノにした演出がやっと終わる。もちろん、ひとはそれが演出されたドラマとは思いたくないので、信じたいことを信じる人々からはそんな真相は永久に「なかったこと」となるのであろう。そう、現実はいつも小説より奇なりなのである。

逆説的だが、この大役者の「神秘的な姿」はメディアを含むあらゆる分野の人たちによってもしっかりと築かれてきた。どんなメディアにも「めったに出てこない」という方法でもって彼はその「存在感」をアピールした。あるいは彼以外のすべての大道具係や小道具係によってその存在感は強化された。そして時折見せる「肉声の聞こえない姿」という、また心憎いまで洗練された手法を通しても、より大いなる謎として世間に「現れた」。Murder mysteryは、最後までその犯人の姿が完全には見えないことによってその存在感がより強調される。そしてまた、数少ない彼の「支配国」からの亡命者のルポによっても強化された。だが、悪の権化としての彼のイメージを演出していたそのマスメディアが、今度は新しい役者の姿を社会にアピールし、彼の新しいイメージづくり(イメチェン)に貢献し始めたのがこの6月14日であったのだと思う。ニヒルな悪役俳優がいきなり三名目として再デビューを果たすが如くである。(この場合、三枚目悪役俳優がイメチェンで正義のヒーローになるTommy Lee Jones式かも知れないが。)

ここしばらくはこの半島の状況がクローズアップされ、さまざまなことが語られるだろう。何よりもこの長きにわたって対立し表向き国交のなかった「ひとつの民族の再会」にスポットライトは浴びせられるだろうし、そのドラマの中ではありとあらゆる個人レベルでの感情的な高まりも表現されるであろう(それ自体は理解できる)。そしてそれはより「劇的」になるのだ。とくにその半島に住む人々の間でこそ、統一の兆しをたのしむさまざまな想いや祝いの言葉がメディア上を賑わすであろう。わたしは、もし半島の二国間の統一が実現するのであれば、この半島に住む一般の市民に対して心から祝福をしたい。しかし、それはこのことがわれわれにとってどういう「意味」を持つイベントとなるのか、ということを冷静に考える義務を酌量するものではない。

私は国際問題のアナリストを生業にしているわけでないし、特別なリサーチができるわけではなく、言うまでもなく客観的新事実を提供できる立場にもいない。だが、二国間の調印式を映すテレビ報道を見ていて、これからこの2国間で起こらなければならないことと、第三国としてのわれわれ日本のことを思わずにはいられないのである。

しかしそれはさておいて、私が今もっとも興味を抱いていることは、その劇的な再会自体よりはむしろ次の点にある。それは、今できることがなぜ昔できなかったのか、ということである。今年できたことがなぜ1年前、2年前にできなかったのか? あるいはなぜ「ベルリンの壁」崩壊直後にできなかったのか、ということである。そこには自然発生的なデタントのムードが「生じた」のではなく、「いつだってできたが時期が大切」という当事国以外の諸々の「お国の事情」と「申し合わせ」をむしろ明るみにしたのではと思えたのである。いつでもできるということは、当半島における真の緊張を伴う冷戦さえもが、(そしておそらくすべての国家間の緊張が)真剣に演じられ、かつ実体化した舞台演劇(狂言)であることを意味するのではないか、ということである。あるいは、こんなことは世界の裏事情に詳しい人々にとっては当たり前の話なんだろう。

ようするに、無期限で(あるいは期限さえあったかも)北の役者は悪役に徹しきって悪の帝国の「首領」を演じきることになっており、やっとその終わりの期限が来たので、「やっとこんな嫌な役どころを演じきることから解放された!やれやれおわったね。ちょっとほっとしたよ」という本音が出た感じ。これが彼の「冗談」が私に与えた印象だったのである。

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