衒学者の回廊/園丁の言の葉:2004

ダワーの『容赦なき戦争』を読む(あるいは「戦争“無効”論」)

March 14, 2004
 
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「戦争の原因は経済である」というテーゼはおそらく正しい。腹が空けば他の動物と変わらず人もおそらく闘うのだろう。国家間紛争には、思想家・理論家などの知識人を中心に、民族主義に根ざした憎悪や宗教的対立など一見経済と無関係そうなさまざまな理由や特定国家による「正義の論理」が人口に膾炙する。いかなる紛争の根本にも「身内」の優先的生存、つまり「自分らが生きるため」という単純明快な理由がある...というわけだ。こうした紛争原因の説明には高い有効性がありそうだ。しかし、具体的な「戦争」という事態が起こるとき、それを成立させるためには経済以外のいくつかのファクターが揃わないと、そのような事態には容易に進まないという真理も同時にある。

戦争が成立する条件のひとつとして特にきわだった特徴は、交戦相手国の人々に対する「無理解」と「偏見」である。相手を自分と同じ人間であると「思わない」ことが戦争を成立させるための条件のひとつなのである。

そうした無理解や偏見を助長するもののひとつがプロパガンダであり、あるいは戦中の民間メディアに現れてくるような「敵」のカリカチュア・イメージであり、あらゆる類の偏向と歪曲に満ちた相手国に関する報道や記述である。それらすべてが「相手」に関する認識の極端な単純化に寄与する。

単純化によって無理解と偏見が強化されると、戦争遂行者にとって相手に対する「容赦なき」攻撃がより容易になる。相手が自分と同じ様な痛みも悲しみも感じる人間であると真に実感すれば、いかなる事情であれ、相手の頭上に爆弾を雨霰と降り注ぐ、などという蛮行を行うことなどできるはずがないからである。

そこにはもちろんそうした残酷を可能にするための制度が必ず必要となる。制度も戦争を成立さえるもう一つの条件である。つまり自分では絶対に引き金を引かない戦争遂行者(戦争への動機を持つ者)と、誤解や単純化をもとに抱かされた憎悪によって、機械と化し、引き金を実際に引かされる人間という役割分担のことであり、必ずその戦わせる側と戦わされる側の相互補完が戦争を成立せしめるのである。

しかし、こうした相手の実状に対する無理解・無関心・偏見も、いざ戦争が終わり、お互いに直接交わり始めるや否や、その認識のほとんどはほとんど一夜にして雲散霧消してしまうということが実際に起こる。ジョン・W・ダワーに言わせると、これは60年前の日米戦争(太平洋戦争)を戦った日米の両国に起こったことだ。つまり、戦っていた期間はまるで互いに悪い夢を見ていたとしか思えないほど相手を憎悪し、固定観念を信じ、実際の残虐行為に身を委ねるが、戦闘が終わると双方が「目覚め」てしまうわけである。

相手に対する無理解や無関心が戦争を可能にする条件であるとすれば、われわれは戦ってはじめて相手の実態に目覚めるという風にではなく、断じて最初からよく目を見開いて(互いを知って)いれば、戦争の理由は依然として存在していたとしても、そのような相互への残虐は避けられたはずなのである。これはおそらく日米戦争だけに言えることではなく、ほとんどいかなる戦争(「ベトナム戦争」や「東西冷戦」も含む)にも言えることである。それは相手を非人間として捉えてそれを疑わない他者への認識のありかたが、戦争の準備段階や戦時には容易に発生すると言うことなのである。

戦争回避するためにはよく覚めた外交態度が必要なことは確かだが、こうした外交を成り立たせるものとして、ひとつには「知識」がある。しかも、むずかしい知識を必要としない。相手をわれわれと同じ人間であると認めるにたる最小限の情報と想像力があればいい話である。

こうした知識をジョン・W・ダワーの『容赦なき戦争』はわれわれに提供する。戦争を準備する人の心やそれを操る(民間から国家規模にいたる)あらゆる種類の扇情的キャンペーンの実体を、戦前から戦中に至る時間を通して日米の両側から描く。ダワーは同書のなかで「あれが人種戦争であったと主張しているのではない」と明確に断っている(p. 6)。人種主義よりもはるかに強力な力が働いた、とダワー自身が語っているのである。しかし「それにもかかわらず」とダワーは続ける。あの戦争は「人種戦争」としての側面を発揮した、あるいは位置付けを附与された戦争ではあったことは事実なのである。

ダワーの著作はそのあまりに綿密なリサーチの量と戦中の双方の実態によって、読んでいて吐き気を催すような事が何度も出てくる。特に、まったく後付けながら、「人種戦争」としての役割を附与され「聖戦」として戦われた側面のある日米戦争に関して、これほどの相互の憎悪の高まりが、意図的に仕組まれたのは実に驚きである。

「戦争“政策”論批判」へ続く


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