あるオブジェクトが一定の形状になっていることの起源には、大きく分けて二つあるという議論が存在する。「1.
機能が要請する形状」と「2. 約束が要請する形状」というものである。
上記の説明からすると、ヴァジュラは人為が作り出したものとは言え、「1.
機能が要請する形状」であったということが可能である。「火花を散らす」という、必要な自然現象を狙った効果
として繰り返し引き出すという目的に適うもの、という点から言えば、開発に当たりいろいろな「プラグ」が試された可能性はあるものの、結局「あのような形状」に落ち着くと考えるべきであろう。つまり人為が関与していても一定の自然現象を引き出すという目的が存在すれば、そこには「機能が要請する形状」が存在する、ということなのである。
「プラグ」の関連図象としては「ダイナモ」の他に、東洋では「宝珠」「蓮のつぼみ」(国技館のタマネギ頭から)があり、イスラム圏のモスクのドームやキューポラがあり、西洋世界では「パイナップル」「優勝カップ」「sevre」「ボーリング・ピン」、さらにバリエーションとしては「fleurs
de lys」から「アザミ: thistle」の紋章まで、無視できない物が多々存在する。日本に於いても日常的に目撃できる象徴図像の中でもとりわけ重要なものとしては、家具や家具時計のトップに位
置する「フィニアル: finial」などがある。今後はその辺りもひとつひとつ図版を挙げて取り上げていくことになる。
(付記) 点火プラグというのはその持ち運びやすい大きさ、摩耗しにくいデザイン、適度に複雑な構造、などなどで「ご神体」としては極めて好都合だというのは実感としてある。幼少の頃、空き地に落ちていた古い点火プラグのいくつかは、近所の仲間同士で分け合って、しばらくは「聖なる武具」のような意味を持つ有り難いものとして秘密の場所に隠したりして大事にとってあった経験があった。それを見た大人に、「それは単なるクルマの部品で、もう古くなって壊れているものだ」と言われても、われわれ子供にとってその聖なる価値は揺るぐことがなかった(それが「雷光」を発生させるものだということも知らなかったにも関わらず)。いまでは、点火プラグのキーホルダー*というようなカーマニアにとってさえある種のステータスシンボルとしても機能している事情は理解できる。とにかく、「全体」にとって重要できわめてエッセンシャルな「部分」であり、しかも取り出し可能で「携帯できる」サイズである、ということ。まさかエンジンやダイナモが聖なるものであったとしてもそれを携帯して持ち歩くには重すぎるからである。
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