以下のことは「イエス」の歴史的実在を無条件的な前提としている話ではなくて、象徴的な存在の意味しか持たないものとしても、それを検討することに十分な価値があるためである。
■ 「13日の金曜日」の意味すること
イエスが磔刑に遭い死亡したのが「13日の金曜日である」という記述は聖書中にさえ直接は登場しない。ただしその当日「過ぎ越の祭り:
Pesach, Passover」でユダヤ人達が忙しかったということから、それが過ぎ越の始まる当日の日没前の話だったことが分かっている。そして、過ぎ越祭の定義自体がNisan月(ユダヤ暦7月:現在の3-4月頃)の第14日のイブ(前日の日没後)ということになるので、現在のグレゴリオ暦とは関係がないものの、ひとつの月(陰暦)の13日目にあたることは聖書記述の解釈上問題がない。だが、現在われわれがそう認識している磔刑の「金曜日」については、「死して三日目に甦」ったのが日曜日であり、それがキリスト教信者にとっての聖日
(holy day)となっている現実を考えれば、やはり妥当である。そしてそれは今日、教会儀礼の「聖金曜日:
Good Friday」となっている。
さて、現在のわれわれにとって分かりやすい元型的なカレンダーを想定することは今後の様々な説明のためにも有益である。そしてそれは第13日が金曜日となるカレンダーを想定すれば良いことである。そしてそれは当然のことながら、それは第一週の第一日が日曜日となる「元カレンダー」ということになる。この元カレンダーによれば、13日の金曜日、日没前(おそらく日中*)は第二週の安息日(土曜日:
サバト)の前日である。このカレンダーを基礎にその後の「キリスト」の動きを考えれば、彼が復活を果
たしたのは15日の日曜日ということになる。そしてこの「15日の週」(第三週)がわれわれの世界ということになる。
* 十字架上で死が訪れた時、それは日中であるにもかかわらず「暗くなった」という記述があるため。おそらく日蝕が暗示されている。もちろんここには歴史的事実としてのイエスを想定する必要のない象徴的記述として受け取ってこそ諒解することのできる秘儀がある。
そしてこの日曜日はイースター: Easter Sundayとなる。以上の儀礼の流れは今日の太陽暦とはなんらの一致もないので、現実的な儀礼上の日にちは毎年変わる。したがって言うまでもなく聖金曜日が必ずしも「13日」になる訳ではない。しかし、このカレンダーを元に陰暦(月の満ち欠け)に当てはめれば、どのような「祖型的な時期」を反復的になぞるものなのかを理解することが容易になる。
そしてもし、キリストの死が世俗間における伝承の如く、「13日の金曜日」であると仮定すると、現在のわれわれがこの元カレンダーで示された歴史的時間の「どの地点」にいるのかを推量
することさえ可能になる。ここでは詳述しないが、結論から言えば、世界の時間的な象徴群の指し示すところによれば、ほぼ「20日の金曜日」に近い(あるいはすでに20日の金曜日な)のである。われわれの世界は第三周の金曜日に差し掛かっていることになる。つまりここから「神々の安息日」は近い、つまりわれわれにとっての「休息」の到来は時間の問題である(末日)という論理が導引可能となる。
「歴史の終わり」をある程度正確に占うためには、その背景に「祖型と反復」のパターンというものの認識が前提となる。まったく反復のない直線的な時間しか存在しないと考える世界観の中には未来の予測も占いも成立しないのである。つまり末日的(終末・周末的)な預言というものには、こうした周期的時間という時間の祖型的パターンに対する強い認識と自覚を伴っていると考えるべきなのである。
このように考えた時、この時代におよそあらゆる種類の新興宗教団体が登場し、終末論的トーンの予言が出てくるのは、ある程度まで「理にかなったこと」と言っても良い。彼らにはこうした「周期的時間」に対する強い自覚がある。そして、その根拠は宗教によってそれぞれであろうが、その神秘性はその根拠を部外者が包括的に理解することが困難であるからに外ならないのである。だが、ここで行っている一連の象徴解釈は、いくつかある鍵の中でも、それを可能にする「もうひとつの端緒:
another one of clues」なのである。
■ 歴史の三層構造
また、この第三周にあたるという歴史の積み上げた三層構造の徴というのはローマカトリックを始めとして多くの宗教的な象徴図像の中に見出すことができ、またさまざまな現代美術の中にも見出すことができる。
ローマ法王のティアラの写真
左:ローマ法王グレゴリー16世のティアラ 右:ティアラを冠るローマ法王ピウス12世
上:ローマ教皇庁の盾の紋章 (Court of Arm)。ティアラが正に主たる要素となっている。それほどの「意味」を伝える皇冠なのである。
この「三重冠」としても知られる「教皇冠」は、ラテン語で「トリレーヌム」、イタリア語で「トリレーニョ」と呼ばれ、宝石で装飾された三層構造の冠である。ビザンチン、あるいはペルシャに源流があり、今日の世界では「教皇制度の象徴」と考えられている。
The Papal Tiara, also known as the Triple Tiara, in Latin as the 'Triregnum',
or in Italian as the 'Triregno',[1] is the three-tiered jewelled papal
crown of Byzantine and Persian origin that is the symbol of the papacy.
つまり、「Tiara」の語源自体に「3」の意味合いがある。イタリア語の「tertio」は「三番目の:
third」の意味。
また、日本原子力研究所の高崎研究所にはTIARA (Takasaki Ion Accelerators
for Advanced Radiation Application)という施設が設置してあることは特筆すべきである。
高崎イオン照射研究施設のウェブサイト
新しいものでは、この三層構造、ないし「3の数性」を強く保ったものに日蓮上人の意を汲んだというある新興宗教団体の月刊出版物の名称がある。
フランク・ザッパのアルバム「Civilization
Phase III」
■ タローの三層構造
そしてもっとも元型的と呼ぶに相応しい「周期性」を反映した美術品(古文書)がタロー(タロット)である。これは愚者:
The Foolの三週間に渡る「時間の旅」と、その間における注目すべき人物との「邂逅」「意識の成長」「建設」「破綻」などの時間的過程が描かれるのである。タローの中でも中核となる「メジャーアルカナ」と呼ばれる22枚のセットは、まさにどのカードにも属さない原型的な「ジョーカー」としてのThe
Foolとそれを差し引いた21枚のカードによって成る。そしてこの21枚とは7の三倍、すなわち三週の時間経過を表すのである。それは下に示すようにまさに「元カレンダー」のように並べ直すことが可能である。
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ここにもそれぞれの週(周)における第六日(金曜日)にあたる箇所が、「死」(もしくは「聖婚」)との強い関連があることが明示されている。それは「赤」と「青」の死を賭した「聖婚」、「火」と「水」のぶつかり合い、「太陽」と「月」の合体、という最期的なイベントであるから、その結合こそは、偉大な者の婚姻(絶頂)、そして小さき者(われわれ)の無数の死なのである。「我等の死が神にとっての栄光である」という原理主義的な信仰も同じ根を持つ。
■ 「三度目の正直」としてのわれわれの世界
「茅の輪くぐり」が円相と3回繰り返される反復と関連があることはすでに言及済みである。ここには超歴史的文明が「3回繰り返した」と解釈されてもおかしくない徴がある。一方聖書に戻れば、冒頭に引用した「ヨハネによる福音書」の一節は、唐突に挿入される復活後のイエスに関する記述である。これは確かにイエスが
復活後に弟子たちの前から姿を消してまた現れるのを三度繰り返したとも読める。だがもしそういう事ならば敢えて記述する意味がない。「復活して後、弟子たちの前に現れた」のをすでに三度繰り返していると解釈しなければ、そこには何らの深い意味を見出す事も出来ない。そしてそれは言語化されなければならなかったのだ。無意味な記述など1行もない練られた末の「ヨハネ伝」であることを思い出さねばならない。
だが、その上で、真に問題なのは、その回数ではなく、繰り返されている歴史的祖型がある、という一点なのである。
「The End」石塚俊明(原画は渋谷のアピアにて観ることが出来る)