音のする彫像・詠う噴水/音を捉えようとする言葉

切実なる人、音楽家ヘルフゴット
March 15, 2001

“エッセイスト”のがびさんが、David Helfgott(以下ヘルフゴット)に関するエッセイを書き、メールマガジンで発行した。その素敵なエッセイ『ヘルフゴット・「共有」としてのコンサート』は、彼女のWeb siteでも読める。世に言う「ピアニスト」に関して何かを書くとすれば、私には以下に取り上げるヘルフゴットより先に取り上げるべき人?がいたのであるが、今回も彼女の文章や彼女の語る経験そのものに刺激されてしまったために、前回の「私のDivaは...」がそうだったように、また書くハメになってしまったのだ。「げにも、がびさんのタイミング、オソロシき哉」なのである。まさに「図らずも行われた音楽についての記述」がまたここに増えてしまったのである。


大体、「ピアニスト」と呼ばれる人々やその中でも「語るに値するひと」はゴマンといるはず?なのに、なんで今ヘルフゴットなんだ?と彼について語ることを疑問視する人もいるかもしれません。そして、ヘルフゴットは一度ならず“名声”を得てしまっているのであり、私でなくたってそれを論じることのできる「適任者」がいくらでもいるでしょう。いまさらその「名声の上塗り」をして、それこそ「業界」に荷担するような真似を、なぜまたシロウトの私が敢えてする必要があるのか、と。それについては、「いや、ヘルフゴットに関しては、どんなカタチにせよ、あのような“問題の多い”ピアニストが名声を得たケースだからこそ語るに値するのであって、彼については“それ”以前と以後のヘルフゴットが相も変わらずに存在するために、むしろ語る価値があるのだ」と言うこともできるかも知れません。(← 何のことか分かりにくい不親切な文章の典型)

難しいことはさておき告白してしまえば、誰がなんと言おうと私はヘルフゴットに感銘を受けているガワの一人です。しかも、彼の良さを説明するのは、がびさんのエッセイを読むまでは、恐らくできないと考えていたのも確かです。

私もヘルフゴットの存在は、くだんの映画『シャイン』が発表されるまでは知らなかったと言えます。でもそれ以降、私の数える非常に重要な音楽家“ピアニスト”の一人になっていると感じています。私の映画観賞後の反応はというと、サントラ盤など買っても大概がすぐに飽きてしまうと相場が決まっているのに、それでも彼の音楽聴きたさにすぐに買った。サントラ用のオリジナル曲が瑞々しく、それはそれで素晴らしいものであったことも手伝ったし、またなによりもヘルフゴット自身が弾いている音源が豊富にフィーチャーされているので言うこともなく、いわゆる「サントラ盤」として、そのクオリティは通常の平均を大きく上回っている印象を得たのです。いずれにしても、私はそれを密かに愛していた。そして「密か」に愛さざるを得ないところに、問題の事情があったのかもしれません。

さて、私は彼の<音>を生で共有できたというがびさんが羨ましい。日本に何度か演奏しに来ていたことも知っていたが、諸事情でそれは叶わなかった。また今度仮に彼が日本に来たとしてもがびさんが体験したようなガーデンコンサートというわけには行かないでしょう。どうせまた彼の肉声が聞こえないくらいの距離から“コンサートピアニスト”よろしくステージの上で演奏する彼を遠目に「見る」しかないのだろうし。

これは言うまでもなく一個人の考えに過ぎません。しかも私自身が多少なり音楽に関わる立場にいる、ということを一旦忘れて読んで頂きたいのですが、私はやはり彼を音楽家だという目で見ています。あるいは彼のような人こそを(ジャンルに関わらず)本物の音楽家として見ていると言った方が良いのかもしれません。もちろん、ここには“一抹”の「音楽をやる者としての主張」がないわけではないかもしれませんが。ただ、それはアカデミックな<しきたり>をパフォーマンスの中でいかに上手に<こなす>かに細心の注意を払って(それはあたかも、オリンピックのフィギュアスケートのような“競技”でどのような難しい技を「そつなくこなす」かをプロの目で固唾を飲んで視ているような意味で)視ているのではなくて、彼のまさに音楽を私は聴くことができると信じているからです。

さらに「作品の中途をごっそりすっ飛ばしてしまったり、正確さを保証できかねる指さばき、またピアノの音に負けんばかりの彼自身の調子っぱずれなハミングやら、リズムの狂い」など一向関わりなく、音楽は音楽で在り得ると確信しているからです。こうなると、この紙面で書ききれないような話なので、単純な言い草になりますが、それを恐れずに書けば、形骸化した標準的な音楽のカタチを遵守するだけの者が大いにのさばるアカデミックな世界(そしてそれが唯一の世界だと信じている人が沢山いるのを私は見てきたし、日本ではアマチュアの音楽愛好家でさえそのような聴き方しかできない人がいるのを知っている)では、そういう本物の音楽家が却って生き延びることができないようになっているので、きわめて「お上手」でありながら音楽を感じさせない「音楽家」が沢山生き残ってしまうのです。しかも、その中でも批評家を味方に付けることで、自分の耳で音楽を判断しない多くの人々を上手に説得する(プロモートする)ことができる遣り手が、結局「成功したミュージシャン」となって行くわけです。(くり返すように、ここでの私の発言は状況を大いに一般化しているのであり、すべからくプロのミュージシャンが音楽的でないと言おうとしているのではありません。)

ここからはおそらくいやしくも音楽をヤる者としての意見となるでしょう。ヤっている彼(ヘルフゴット)が楽しそうであり聴いている人々が楽しそうであったというのは、がびさんがいみじくも述べているように、正に音楽共有の本質を暗示するものだと思います。もちろん音楽の共有というのが「楽しいばかりでない」一面というのはあります。また、音楽が「苦悩そのものである」とか「悲しくて嬉しい」とか「イっていて最高」とか「オワってる」とか、ちょっと一筋縄でまとめられない局面も持っているシロモノだと思っていますから、自分が必ずしもヘルフゴットが楽しんでいる意味で演奏中に「楽しめて」いるかどうかも断定はできません。それに、そうしたことだけが音楽の絶対的条件だと決めつけもしません。でも、まず音楽をやる動機はヤる人の中になければならないという真相は理解していると自負しています。それは音を奏でることでまず自分を喜ばせることができるか、という最もプリミティブかつ内的な動機(モチーフ)のことです。

私はヘルフゴットが彼自身を楽しませることができているのを確信しています。それは科学的に論証できる類のことではありませんが、<音>を聴けば分かります。音が人に向かう前に自分に向かっているかどうかは端(はた)で聞いていても分かるものですし、音楽は、スタンドプレイやはったりで人をだますことも本来はできないのです。自分がまず堪能できないシロモノを人前に持ってきても、人はそれを共有することができない。だって共有する以上、それはまず最初に出てくる人のモノでなければならないからです。提出することができる何モノかも持たずに現れて、それを誰かと共有することなどできないのです。もちろん創作者が自分本位になればなるほど、共有できにくいモノになる傾向や可能性は否定するつもりもありません。しかし、こと音楽については、「個人的動機」こそが発端なのであり、また本当のモノになれるかもしれないものであり、それが3人の人に共有されるモノなのか、30人なのか、300人なのか、はたまた3000人の人々によって共有しうるものなのか、という違いがあるだけのはなしです。でも多くの人に共有されるものが、そうでないものより優れているということも必ずしもできないと私は同時に考えています。

ヘルフゴットは映画で紹介されることによって、何千人、いや何十万人もの人によって共有される幸運?な舞台を得たのだと思います。誤解してほしくないのでここで註を入れると、ここにはヘルフゴットを嫉む気持ちはこれっぽっちもありません。なぜなら私は純粋に彼の音楽が素晴らしいと思っているのですし、第一、<音>の体験を重視している人は、「どういうオーディエンスの前で弾けるのか」ということとはまったく関係ない個人的な体験のただ中にいるに他ならないからです。

でも先程の「舞台」を得たのは彼が真の音楽家であったことに加え、ラッキーだったためで、彼の音楽家としての本質はパースのレストランバーでピアノを再開したばかりのときも、千人もの聴衆の前で弾くようになったときも、映画を通じて紹介された後も、なんら変わらなかったと思うのです。そしてもちろん彼の特異なパーソナリティ(あるいは体質?)に助けられて、音楽をヤる動機が「人をどうにかしてやろう」などという不純な方へは変わっていかないだろうということが予想されることもあり、私にとって彼はいつまでも本物の音楽家であり続けるだろうなと思えるのです。

彼が若い頃病気で倒れ、ほとんど演奏不能になったことは不運だったとしか言えないと思います。でも「人生万事塞翁が馬」でもあるわけで、一体何が幸い(災い)するとも言えないわけです。有名になってしまった彼に、これからそれ故の不幸が絶対に招来しないとも限りません。少なくとも今のところ言えることは、彼の一部が病気によって死に、音楽家としての部分だけがかろうじて生き残った希有のケースだということです。音楽家であるための必要条件(これは相当数の人々の中にある)に、名声のための十分条件(多くの人に聴いて貰う条件)が加わったという話をしているだけなのです。この場合、彼の名声は彼の自意識が明瞭でない?分、彼をスポイルすることはないだろうという「幸運」が起きているわけです。だから彼の名声が「音楽家」として相応しいとか相応しからぬとかいう双方の主張が、いずれも当たっていないというのはまったく正しいのです。そりゃあ「音楽はカクカクシカジカの条件を満たしていなければならない」という「意見」なり「立場」を持っている人たちにとっては、それつぁ大問題!なわけでしょう。

そんなわけで、どこぞの新聞に出ていたと言う「映画の力がなければここまで有名になれなかった」のが、大なり小なり当たっていたとしても、そのようないわばアタリマエなことを敢えて書き、本質的な音楽体験になるかもしれない共有の可能性を狭め、彼の音楽の価値を損なうことを画策しているとしか思えないような主張をコラムで平気でする「批評家」を、私は残念を通り越して怒りを感じると言わなければなりません。そう言う批評家には、「一体全体誰を相手に仕事をしているのか」を一度訊ねたい。

がびさんのエッセイの中に、控え目に<<「音楽家は音楽のみにおいて評価されねばならない」のかもしれませんが、...>>とあります。もちろん彼女は「 」の中の内容の正当性をその一文で主張しているのではありません。ただ、この「 」の中について私なりの言い方をするとすれば、「あえてプロの音楽家たろうと思うなら」という条件の下での話だということになります。つまり彼らは「音楽においてまず評価されることを覚悟しなければならないだろう」とは言えるわけです。一方、なんらかの共有を目指す人には、音楽以前の何かを内に秘め持つことが期待されて然かるべきだと思いますし、正に内に音楽を持っている者が実はすべて音楽家なのであり、その内の幾人かは成功した音楽演奏家(プロ)であり、また別の幾人かは知られざる音楽家なんだと思っています。

この意味で、先に引用したがびさんの表現は、私の言い方では、“音楽家は「音楽」のみにおいて評価されねばならないと世界では広く信じられているようですけど...”となるでしょう(がびさん、もちろんこれは貴女の文章の批評を意図しているのではありません)。そして、「奏する者」と「聴く者」の隔たりというのは、(あくまでも)悪い意味で茶道や華道のエッセンスが家元の権威によってなりたつ*芸能の体系的組織に安住する一部の「訳の分かった人々」の間だけで評価が決められるのを当然と考える人々や、「どうせそういうものなんだ」と受け容れてしまっている一般の人々によって、作られてしまっているというのは不幸にも真実だと思います。

* 別の所でも何度も述べているように、家元制によって保持されている伝統的芸能のありかたがそもそも悪いモノである、などと主張しているのでは断じてなく、ふさわしからざる権威主義をほかでもない<音>の世界の中に持ち込んで当然と考える「音楽」の権威主義者達こそを批判しているのである。伝統芸能の保存が可能でありまた必要且つ重要であったということの主張は別の拙論において行っているつもりだ。

いずれにしても、オーストラリアに着くや否やそのような音楽の本質的体験をしたがびさんは、実にラッキーだったと思います。もちろん、そのような幸運(ラック)を招き寄せる才能を、他でもないがびさんが持ってらっしゃることも、明らかだと思いますが。彼女に、心から「Lucky you!」と「Thank you!」を送りたいと思います。


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