音のする彫像・詠う噴水/音を捉えようとする言葉

安息の音楽(土曜日に投稿すべしこと)
April 15 - October 25, 2004
 
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ートーヴェンを聴いている。自分でも「へえ〜何で今さら」という感じなのだが、齢(よわい)四十にしてやっと室内楽の深さと素晴らしさに気付き始めたのだから、私はまだまだ「ツイていた」というくらいのものなのだ。失われたマスターテープが再発見*され、Westminsterという老舗レーベルから出ていたバリリ四重奏のものが、現在CDで復刻されている。最近それらの素晴らしさに魅了されている自分は、片っ端から(とは言っても経済が許す範囲で)購入しているのだが、ウィーンの50年代の演奏家達が奏でる音楽の魅力、録音フィデリティの驚異的な良さなどで、完全にどこかへ遠くに旅に出てしまうような時間が過ごせる。

* このマスターテープ再発掘の話は、野村三郎著『ウィーン・フィルハーモニー:その栄光と激動の日々』に、その感動のエピソードが詳しく語られている。

私の特にお気に入りなのは、先に言及したバリリ四重奏の第一ヴァイオリン奏者、ウォルター・バリリとハンス・カメシュというウィーン・フィルの当時の主席オーボイストである。バリリの方は、10代で第二次大戦中にウィーン・フィルハーモニックの団員となり、二十歳前にコンサートマスターになるという早熟ぶりを発揮した。しかし、なんと身体上の問題で39歳で「引退」しているのである。私は39で、いよいよ「やりたいことをもっと追求しよう」などと悠長なことを言っている。そんな39歳の時に私はバリリを知り、ようやくその世界を聴き始めたわけだが、同じ年齢で、バリリはもう既に引退していたのである。ということは、考えてみると、Westminsterで聴ける彼の演奏は、ほぼすべて20-30代で録音されているものだと言うことになる。

さて、話をベートーヴェンに戻すが、このバリリ四重奏でいよいよその世界の入り口に立ったわけだが、そんな自分が知った音楽に、弦楽四重奏曲第14番というのがある。いわゆるベートーヴェンの弦楽四重奏曲中、「後期に属する」ということで、多くの愛好家から評論家、実際の演奏家に至るまで、多くの人々の間で、すでに高い高い評価を受けていて、有り難がられているようだから、私が敢えて取り上げる必要もなさそうなのだが、やはり「特別な音楽のひとつであることに変わりがない」と自分の言葉にしておきたいのだ。

作られた順番からすると、16曲ある弦楽四重奏曲の中で14番目のものではなくて、最後から2番目に作られたものであるらしい*。しかし、どのような事情でそうなったにせよ、それが現在「第14番」となっていることにある種の暗合(暗示的意味合い)を感じる。そもそも「7」という、ある意味特殊な楽章数からなるこの曲の第1と第7楽章は、嬰ハ短調(C# minor)という、これまた“特殊”な調で作曲されているのである。嬰ハ短調はホ長調(E Major:シャープ4つ)の関係調なだけだと言ってしまえばそれまでであるが、この調はそもそも葬送曲の調なのである**。短調はすべて同じ調子で「暗い」のではなくて、それぞれに異なる「暗さ」のニュアンスがある。嬰ハ短調は、死を連想させる響きを持つ。しかも、「7」という「安息の数字」に関連させられていることも見逃すことはできない。

* このリンク先の解説は大変面白く、しかも秀逸である。特に、「各楽章の解説」と称する部分の各見出しにつけられた「副題」は、まさに、ベートーヴェンのその曲に込めようとした意図と曲構成のプランを非常に旨く言語化したものだと評価できる。必読の部分である。

** マーラーの交響曲第5番の1楽章 Trauermarsch(葬送行進曲)も嬰ハ短調である。

非常にゆっくりしたアダージョでこの曲は始まる。とらえどころのない程に延びきった半音階的な動機で始まるこの寒々とした空気は、一体なんなのだ。まるでショスタコーヴィッチの弦楽四重奏曲かと思わせるような非常に「現代的」なところがある。もちろん影響を受けた方はショスタコーヴィッチのはずなんだが。この楽章も中間部に差し掛かってくると、だんだんそのメロディーは明瞭になってきて、「間延びした」と思われたそのメロディーが、実はゆっくりフーガを作りだしていくための伏線だったことが分かる。まず第1楽章が、永久に続いて欲しいこの最初の楽章のアダージョによって、この曲の特殊性を決定している。

不思議と言えば、弦楽四重奏曲第13番もである。7楽章からなっていた第14番に対し、第13番は、6楽章からなる。この“暗合”も私には偶然には思われない。変ロ長調 (B flat Major) のこの曲は、面白いことに作品番号で言えば、Op.130。しかも、Westminsterの復刻版CDでもカップリングされている同じ調で書かれた「大フーガ」という単楽章の弦楽四重奏曲 (Op.133) とも、何か関連もありそうだ。「大フーガ」の名に相応しく、この1曲で弦楽四重奏曲13番の第1楽章から第4楽章まで(あるいは第4楽章から第6楽章まで)を足した長さにほぼ等しい。

しかも変ロ長調(B flat Major / B Dur)である。Cをトニックとするダイアトニック・スケールの「第6音のA」と「第7音のB」の中間に位置する音 (B flat) を基音としている。関係調はG minor / G mollで、Gは言うまでもなく7番目のアルファベットである。弦楽四重奏曲第13番と「大フーガ」には、どうも「6」と「7」の数性の呪縛があるのだ。

ライナーを読んで調べたら、そもそもなんとこの「大フーガ」は13番の第6楽章として作曲されたモノだった!ことが分かった(ライナーを読む前にあれこれ自分で考えるんですね)。げーっ。第13番には、つまり第1楽章から第4楽章までを足したような長さの、現在「大フーガ」として知られる異常なる「最終楽章」を書いていたのだった。発表当時、それが「不評だった」ために、ベートーヴェン自らもっと短い第6楽章を書いて、それに置き換えたというわけだ。そうして押し出された「大フーガ」だけが、単独で残されたわけだ。もちろんこれは、まれに単独で演奏されることもあるだろうし、それよりもなによりも「大フーガ」を、第13番の第6楽章とする、ベートーヴェンの<最初の意図>を尊重した「オリジナル版」も、出版されたりしているらしい。

くわえて、その「大フーガ」そのものの構造が素晴らしい。まず冒頭、8つの音列が提示される。その主題が3つの異なる形で奏される。これはまた独立した曲であるものの、7つの部分からなるという驚くべき入れ子構造になっている。だから、私はこの“Westminster版”の録音、すなわち、6楽章からなる「第13番」が終わって、長い長い「大フーガ」が、そのとても短い第6楽章の後に続いて、あたかも第13番の「失われた第7楽章」のように演奏される、という演奏スタイルのコンセプトを尊重したい。その理由は、もちろん説明するまでもないだろう。

(そうそう。そのあと第14番の1楽章のアダージョを、引き続き聴くわけですよ。)


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