音のする彫像・詠う噴水/音を捉えようとする言葉

4時間(ある平凡な日曜の午後の劇的シナリオ)
November 18, 2002

(ナレーション風に)「4時間」とは、あるライブの決定から決行までの最短“距離”のことである。

その電話の主は、3時半からのライブを控えてエアジンに待機している近藤(秀秋)氏からのものだった。「中溝さん、今日、7時半からライブなんですね。...で、おれらのライブが終わったら、そのまま残って録音しますよ」「え...? そんなはずないけど。何かの間違いじゃない?」「え、でも中溝さんの名前出てますよ。スケジュール表にもネットにも...」「...絶句!」

近藤氏はいつもの親切心で電話をしてくれたのだが、「7時半からのライブを私がやる」を言うのは、まったくの寝耳に水だった。実は、この話には経緯がある。11月17日にエアジンでライブを「やるかも知れなかった」のは2か月前まで遡ると確かだった。9月に「もんじゅ連」の初のエアジンライブをやったとき、月曜枠(Monday Night Live)以外で永山亜紀子の朗読を交えて、「ライブをやらないか?」とマスターに持ちかけられたのであった。もちろん、まことに光栄なことであり、またチャンスであった。

しかし残念ながら、もんじゅ連の私以外のふたりは、同日別の場所(荻窪グッドマン)でのライブのブッキングが決まったばかりだった。2ヶ月前の毎月15日がブッキングの締め切り日なので、決定されてしまった以降は、そのスケジュールを動かすことは原則としてできない。われわれの初めてのエアジンでのライブの日にちは9月16日で、その日の演奏が終わってから出た話だったので、「一日遅れ」で15日以前の確認が間に合わなかったのだ。それで、私はせっかくのチャンスだったが、「かくがくしかじかで残念ながら今回は...」とお断りした(ツモリ)だったのだ。10月にフィル・ミントンとのパフォーマンスがエアジンであったので、その折りに直接お話ししたのであった。

しかし、である。私の伝えようとした意図は伝わらなかった。私が断るはずがないと思われたのか、理由は何にせよ、「私がもんじゅ連のカタチでライブができない」としても、別グループで敢行するに違いないとマスターは考えたのである。それで、「私の名前はスケジュール表に載り、インターネットで告知されていた」ワケである。私はそのことに、近藤氏からの電話を受けるまで気が付かなかった。それは3時ちょっと回った時点だった。7時半のパフォーマンスということは、移動時間や準備を含めてわれわれが持っている時間は4時間である。

自分の目で確認しなければならない。スケジュール表は持っていなかったので、ネットをつないでエアジンのウェブを見た。私の名前が載っている。中溝俊也(俊哉)バンドとなっている。愕然とした。こうなったら、理由はどうであるにせよ、私が出演しないということは世間に対してはドタキャンをしたことになってしまうゾ。

理由を説明するヒマはない。そうとなったら自分の心当たりの演奏家に電話を掛けた。もちろんそう簡単にできる人がいるわけがない。不在だったり、先約があったり。当然である。もうすぐ4時である。パフォーマンスの時間まで3時間半しかない。永山が「河崎さんは?」と言った。「亜紀子!そうだ!」。掛けてみる。在宅だ!「今日の夜は何もないですよ」「やってくれる?」「えぇ、いいですよ」。二つ返事で引き受けてくれたのである。

これで「中溝バンド」ではないが、最低でもデュオは成立する。そうこうしているうちに、マスターから電話のコールバックが入った。ちょっと前に確認のために電話をしていたのだが、不在だったのだ。事情を説明すると「それなら、今日は“事情により”ということでキャンセルという事にしますか?」「いえ、それが...その、河崎さんが出来ると言うことなので、せっかくなのでやってしまおうと思うのですが」「それならそれで、店としてはその方が良いですけどね」「じゃ、そういうことで今夜はお願いいたします」。

ライブの休憩に入ったと思われる近藤氏からふたたび電話があった。

私:何とかやる方向で決まりました
近:あ、マスターから今聞きましたよ。で、どうなりましたか?
私:ベースの河崎さんがやってくれることに
近:あ、それはよかったですね。ラッキー
私:で、録音...なんだけど。お願いして良いですか?
近:DATのテープの持ち合わせがないんですよ。持ってきてくれたらやりますよ。

その足で電気屋に走った。DATを買った。うちに戻り、風呂を沸かし、身を清めた。楽器を抱えて、詩の束を抱えた永山と一緒に、うちを飛び出し、横浜に急行したのであった。

私の中では4時間前にライブが決まり、人を決めて、その日の晩にパフォーマンスする、ということであり、そのようなことは、もちろん初めてであった。永山が出演OKの「決心」をすれば、当初の目的のひとつであった、「朗読をフィーチャーする即興演奏@Airegin」が実現する。そして、実際に、日曜の夜、河崎純、永山亜紀子、中溝俊哉のトリオの初パフォーマンスが行われたのだ。


ライブ告知もせず、こんなに急に決まったのに、それでも横浜に駆けつけてくれた方がいました。全く嬉しいことです。はからずも「試み」に遭わせてくれたマスターの梅本さんには感謝。快諾して演奏も楽しんでくれた河崎純さんの「男気・おとこぎ」には感服。「録音」のオファーのために「たまたま電話をくれた」近藤氏の直感は凄い! そして、土壇場の状況で「危機を機会に変え」て、最終的に出演を決心してくれた我パートナー、亜紀子にこの場を借りて愛のエールを伝えたいと思います。


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