衒学者の回廊/園丁の帰国直後の言の葉:1994-1999

「燃費」は「効率」を意味するか?

May 17, 1999
 
English version

5月17日(1999年)付の日本経済新聞におけるコラム『春秋』は、まったく的の外れた提案を含む不毛な類の言葉の定義論である。私は広辞苑の権威に挑む気など毛頭ないが、筆者が「燃費」という言葉の定義を広辞苑に求め、それが絶対に正しいかのような前提で論を進めている点、また、しかも正当な理由があって業界で久しく用いられている言葉を筆者の個人的勘違いで言葉の変更を業界に呼びかけるという方法に甚だ迷惑を感じるものである。

自動車関係の翻訳に携わったことがある人間からすると、こうしたコラムは読み終えると恥ずかしいばかりである。広辞苑になんと書いてあるかに関わらず(ということは広辞苑の定義が必ずしも絶対的であるとは限らないと言うことだが)、そもそもこのような単語は英語などのある表現を日本語に直したものであるから、それに戻って検討してみるのが実は近道な場合がある。無論、英語の定義が絶対であるなどと主張する意図もないが、そも自動車などのテクノロジーや科学は欧米に起源を持つものが多い。

広辞苑には、たしかに『春秋』で引用されている通り、燃費の定義として「1リットルの燃料で車が何キロメートル走れるかを示す燃料消費率」と示されているが、それを本当に字義通りに受け取って良いものかどうか? 結論から言うと『燃費・ねんぴ』とは、他のさまざまな日本語の単語にもあるように、『燃料消費』という四文字熟語を短くしたものに過ぎず、燃料消費「率」と、広辞苑にあるような意味的に一歩進めた「効率」まで含んだものと解釈するのはむしろ性急なのではないか? 実際、英語にはfuel consumptionという表現があり、それは『燃料消費』という以上の意味を持たない。当然、英語にはlow fuel consumptionという常套句まであり、その言葉が英語で出てきたとき、日本語では当然のことながら『低燃費』と訳すのである。効率がどうのこうのという表現ではなく、「燃料の消費(量)が低い」という以上の意味をもたないのである。

効率ということで述べるなら、これはこれでちゃんと英語でも存在しており、fuel efficiency、あるいはfuel economyという言葉を使い、それに対する日本語訳がそれぞれ「燃料効率」「燃料経済性」というものである。もちろん、そのなかで、一歩踏み込んだ表現、あるいは文脈上、広く世間で使われている言い方のが通りがよいと翻訳家が判断したときは上記のような「効率」を示す表現ではなく、「燃費」と便宜的に翻訳することもあるにはある。

しかし、いずれにせよfuel efficiency、あるいはfuel economyがまぎれもなく「1リットル(ガロン)の燃料で車が何キロメートル(マイル)走れるか」という効率を指す表現であるが、高燃料効率にあたる英語はhigh fuel efficiencyと立派に存在している。また、自動車業界では『高効率エンジン』(highly efficient engine or high-efficiency engine)などと言う言葉がしばしば使われており、こと効率に関して「高い」と「低い」を混同したりはしていないのである。つまり、従来の「低燃費エンジン」を「高燃費エンジン」などと呼ぶ方が遥かに混乱を来す恐れがあり、そのような言い方をせずとも「高効率エンジン」あるいは略さずに「高燃料効率エンジン」と表現すれば事足りる話なのである。 このときに、低燃料効率low fuel efficiencyと言ってしまえば、コラムで仰られているように、確かに「効率の悪い」という意味になってしまうでしょうが。

すなわち、『燃費』という言葉が効率を度外視した「ある単位走行距離に対する絶対的な燃料の消費量」であるという裏返した観点からすれば、『低燃費』という言葉は誤りでも何でもない。さらに消費者のベネフィットを考慮する観点から言うと「1リットルで何キロ走れるか」ではなく、ある距離を走るのに「どれだけのガスを喰うのか」というのが関心事だとも言える。リッター当たりどれだけ走れるかというのは、むしろ自動車を開発し効率を競い合う企業側の関心事であるとさえ言えるかもしれない。

それでは、日経新聞コラムニスト氏が無条件に権威を信じたがる広辞苑において、なぜ消費「率」という言葉を用いて説明がなされたか、ということに関しては推測できることがいくつかある。燃費というのは、結局消費される燃料の絶対量よりは、率として比較した方が科学的に厳密であるという事情があるからだ。すなわち、燃料消費に関わる自動車の特性(性能)という点で言うと、車の大きさや重さによって燃料消費の絶対量は異なるわけであり、単にガスの消費量を比較するよりは、同じ車格の自動車どうしで単位燃料当たりの走行距離を比べそれを「率」として表現する方が意味がある。しかしながら、見逃せない点として、日本語で使用される『率』という言葉も曖昧な使用をされることがしばしばあり、本当に日本語で言うところの「率」がratioを意味しているかどうかは非常に怪しい。明確に計量比較されたものでなく、単に「度合い」degreeを意味するものに対してさえ、率がどうのといった言い方を日常的にしているからである。

結論として、『低燃費』という表現が、単に過去の慣例に倣っているか否かの問題ではなく、純粋に『燃費』という省略語が燃料消費「量」であるか「率」であるかの解釈の問題に過ぎず、語源的には私が既に示したように「燃料消費」という量を意味する以外の何物でもないと言うのが、私の主張の中心である。いまさら翻訳やプレス発表の資料に混乱を招くような表現変更を示唆するような独善的な運動は止めていただきたいものである。

実はここで上げた広辞苑に関してさえ、ことによると筆者御自身が読み違えているのではないかという可能性もあるが、それには本人はまったく一顧だにしていない。無知を自ら公表するたぐいのコラムであった。また、筆者は「低い」は「悪」く、「高い」は「良い」ものだという思いこみがあるのではないかと勘ぐりたくさえなってくる。そうした論理から行くとクルマの性能の一部である「低排気ガス」も「低ノイズ」もネガ要素であることになってしまうだろうね。

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