衒学者の回廊/園丁の今の言の葉

分散してしまった哀れな私たちの心

February 26, 2003
 
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もともとは誰が言い出したか知らない。だが「秘密は人生を豊かにする」ということを聞いたこともあるし引用もした。意味もなく魅了されたのだ。根拠のない信頼。しかし、この良くできた言い回しは、実は大嘘で大局的には「秘密は貧富の格差を拡大する」というのが、正しい。ここで言う貧富とは単に経済的な「貧富」だけを意味しない。そう。最初にこれを聞いたとき、「秘密は人生を豊かにする」という言葉は魅力あるものだった。しかし、考えてもみれば、これは単に「人生を」ではなく、「秘密を持ったあなたの人生を」のことであり、「他の人々よりも相対的に豊かになる可能性を持つ」と言い換えるべきで、秘密の保持、すなわち「あなたの知識や発想の独り占め」は、あなたの知識とそれを持たぬ者の格差を拡げるだけだ、ということを知った。そして、この言葉の発する魅力とは、私という個人の生の尊厳を優先すると同時に、われわれ人間の関係を甚だしく傷つけるものでもあることを悟ったのである。 これを読む方々は、「なにをバカなことを」と、あるいは「なんと自明なことを」と、お思いだろう。しかしそう思っているあなた方の抱く大小の秘密が、あなた方を豊かにしたり幸せにしたりするどころか、あなた方を引き裂き、びくびくと臆病で防衛的な人生に追いやっているのであり、そうした防衛は、一生掛かって企てても完璧を期することができないばかりか、どんな秘密もいずれ明るみに出るその善き日に、その努力は潰えてしまう類のものであるから、努力する甲斐のないものなのである。これは、自身の「情報公開」こそが身を守る手だてになるという全く新しい発想の「幻想」論である。そしてあなたが笑うかも知れないその幻想は、そもそも思いこみの世界に住んでいるわれわれにとって、永久に幻想であるに過ぎないという意味で「幻想」だというのである。 そもそもこの筆者が夥しい秘密を抱え込んで生きている。だがここで「バカなことを」と一蹴せず、一度、もしあなたの心の中に生じたすべての想念や発見や本音や感情が一切秘密にできない、という世界に住んでいると想像してみよう。そしてその世界では、どのような個人に発生した想念や発見も瞬時にすべての者によって共有されるのと考えるのである。むろん、そのような世界というのは、われわれが今住んでいるのとは全く違う世界である。あなたは他の誰と比べてもより優れていることも豊かでいることもできない。あなたにはプライヴァシーはなく、そもそもプライヴァシーというものがどういうものなのかということも通念として存在できない世界に住んでいるのである。これは、肉体を持ったわれわれがかつて一度も味わったことのない真の平等が実現された世界である。私はこの世界の在り方を来るべき世界(あるいはこの全宇宙のどこぞに存在している世界)と比べてその善悪や優劣を話そうとしているのではない。そのような世界がまったき平安を意味するという自明のことを伝えたいだけである。 しかるに、現在われわれが住んでいる世界においては、あなたの頭に浮かんだその素晴らしいアイデアは、あなたの意志次第でしかるべき時まで封印される。それはあくまでも「あなたの考えた」アイデアであり、他の誰のものでもなく、他ならぬあなたのためにだけ利用されなければならないと信じられているものである。いわゆる知的所有権も特許も、そして家族の秘密から企業/国家の秘密に至るその他のすべての秘密も、他者との格差や個性を固定するために機能し、富める者が富めるままに維持され、富める者がその栄えをより長く享受できるようにするための道具となる。秘密とは、自己の他者からの区別を可能にするものなのである。そして秘密を保持する権利を持つと信じられているのが、われわれ「進んだ文明社会」であり、われわれの社会における当然の常識ということである。 しかしわれわれの実態は、富める者は自分の持つ知識を隠匿する一層の術を持ち、豊かさのための秘訣として秘密を守るだろう。秘密を守るための秘密も、それを守るための秘密も開発されただろう。鍵をしまっておくための鍵がある。そしてそれを受け継ぐことの認められた一部の遺産相続人たちは、それをまた子孫の代まで秘伝として隠匿する。そしてその秘密を知らされないその他の大多数の人々は生存中その秘密によるいかなる恩恵も受けずにこの世を暮らし、去っていく。 豊かなわれわれのその生活スタイルは、「プライヴァシーのある生活」と呼ばれ、その生活は密やかにその厚いカーテンや鬱蒼とした生け垣によって隠される。羨まれることもなく、その豊かさはひっそりと営まれ楽しまれなければならない。そしてプライヴァシーとは、富める者にだけ存在する通念である。貧しい人には密やかな人生の楽しみなどなく他の貧しい人から隠されなければならない秘密の生活などもない。守るべき恥ずべき習癖もない。 そして、獲得した秘密を隠し通せる壁があるから富める者は富者となった。隠すべき秘密が多いほど、カーテンは厚くなり壁は高くなる。その奥に隠された生活を他者は知らない。 もしあなたの心に浮かんだその発想なり、新しい富についての知識なりが、瞬時にすべての人間によって共有され、あなたの考える豊かさのありかたがすべてのひとによって反論されず、共感されたとき、われわれはすべての争いの理由を失う。あなたのものは私のものであり、私のものはすべてあなた方のものだからである。こうして、秘密を諦めたとき、すべてが平等になる。(今あなたが平等を愛さないのは自分に守るべきものがあり豊かな側にいると思っているからだ。)秘密を諦めたとき、「個人の尊厳」というわれわれが現代社会において唯一頼りにしている生きるための根拠、自己の優先的生存の理由、を失う。われわれが日常の中に張り巡らした溝や壁や扉の鍵がわれわれ自身を苦しめているのであれば、こうした世界の在り方に対して一度善悪を超えたまなざしを与える必要がある。この世界においてわれわれが実現できないその在り方は、しかし実はすでに「実現」されているのであり、われわれはついにはそこに赴くのである。この世において、そうした知識や知恵の共有は、最も目覚めからほど遠い現今の権力者の独占する力や知略・謀略や技術によって達成されない。あなたの意識の届く、ただ小さなコミュニティにおける、真に秘密も秘密を守るべき壁も塀もない開かれた社会の在り方と人間関係によって初めて達成される。その者たちの暮らす「町」には、知識や美や力や富といった一切の偏在を許す高い塀に守られた蔵もなく金庫もなく、塀も生け垣もない。あなただけが芸術家なのではなく、あなただけが技術者なのでなく、あなただけが享受者なのでなく、あなたの創ったすべてを瞬時にして味わうあなたの隣人がいるだけである。そして隣人の痛みはあなたの痛みであり、隣人の歓びはあなたの歓びである。 知識を富という解りやすい具体物に置き換えて話をしたが、あらためて、この秘密はあなたの経済的富にのみ関するものではない。歴史の秘密。国家創成の秘密。あなたのすべての秘密。創作上の秘密。それを私は「財産」であり「富」であると表現しているに過ぎない。しかし、今日も蔵の大きさや塔の高さは、ある者の豊かさを象徴しており、持てる秘密の量を反映している。そして誰よりも一足先にその秘密の知識を入手して、他者を出し抜くことが、われわれの生活であり、われわれの歴史の始まりから記録されている富の偏在の最期の姿として眼前を移ろっているのを眺めているのである。 私はいつになったら自分の秘密のすべてを捨て去り、あなたの一部となることができるのであろうか。


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