衒学者の回廊/園丁の今の言の葉

映画『一番美しく』がわれわれに伝えるもの

July 16-30, 2003
 
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またま、黒澤明が撮った戦中の映画作品『一番美しく』をケーブル放送で観た。「戦時体制に於ける戦意昂揚を図る映画のひとつである」と言ってしまえばそれまでだが、果たして語るべきはそれだけだろうか?(もしそうだとして、その捉え方の是非についてさえ考え方はさまざまであろう。)私はここで「いや、やっぱり黒澤だからちょっと違う」とかそういう巨匠礼賛をして終わらせようなどという意図は一切ない。私が映画を観て正直驚き、時間を経るにしたがって強くしていった思いというのは、この映画が戦時中の人の姿を捉えた「記録」として意味があるという点においてである。その点に関しても同じく「黒澤だから」というような観点は最重要ではない。つまらん映画評論の観点からすれば、「すでに黒澤独自の撮影スタイルの萌芽がある」だとか何だとか、所謂「一家言ある方々」にとってはいろいろ言及すべき点があるのかも知れない(ネットで検索するとそんなことしか出てこない)が、私がここでしようという話の中では、やや乱暴だが、『一番美しく』を撮った人がどこの誰であっても、この際おそらく関係のない話なのだ。

私にとっては、ありのままの現実をドキュメントとして捉えようとしても却って捉えられず、虚構を多く含む劇的世界を描こうとした結果、滲み出てしまう当時の社会の現実というものがむしろ興味深い。ドキュメンタリー以上に「現実」として捉えさせる力を持つものが『一番美しく』という映画の、現在われわれが捉えうる最善の捉え方ではないかと思うのである。

「記録」と言えば、戦時中の人々の生活を捉えたニュース映画の類がある。そしてまた戦後に編集されたドキュメンタリー・フィルムなどが戦時下の人間の生活を捉えたものとしてふさわしい物だと考える向きもあろう。そうしたフィルムの一部が折に触れて再編集され、歴史を扱う記録番組などに現れるなどということもよくある。また、戦中を生きていた両親の話などを通しても、われわれは戦時を生活するひとびとのイメージをある程度再構築してこられたものだと思う。だからなおさらこの映画をあくまで「記録」と呼ぶことには若干の説明が必要となる。

ニュース映画の一部分などを見て知っている私の持っているあの時代へのイメージには、ノイズの雨が降っていたり再生スピードが調整されていないためか、ぎこちない動きをする戦前戦中の人物像などの映像記録の影響がある。古い時代には色がなかったのではないかと思われるくらいにくすんでしまったちらちらとした白黒の影のイメージである。しかし、結論を言えば、『一番美しく』に関しては、むしろドラマとして完成している映画中の俳優たちの演技や演出などから、われわれはいわゆる「記録を意図したフィルム」のもたらすイメージを超えて、当時の人々の生き様のリアリティを感じとるのである。本来すべてが演技であるはずのこの「劇映画」から、一体何故これだけのリアリティを感じられるのか。そう捉えてしまう自分自身への自問自答が始まったのである。

こうしたことは当の黒澤さえ予想しなかったことかも知れない。ただ、私は、この映画に登場する精密光学機器工場におけるレンズ磨きに精を出す女子工員たちを演じている俳優たちの姿に、当時の時代というものの虚もあり実もある「現実」を読み取るのだ。おそらく描かれている「現実」は虚構を多く含むドラマであろう(かなり現実に近い世界が描かれている可能性もあるが、当時の女子工員の話を聞いたわけではないので、その描写に何処まで信憑性があるのか、にわかには判断することが出来ない。)しかし、私はそのいわば「虚構」を精神誠意演じきっている女性俳優たちに、そしてこれを可能にしようとした制作陣たちの意気込みに、当時の世相を感じ取ったのである。

自分の演じている役柄を信じ切ることの出来た彼女たちは、いわゆるライフワークとして「演じる」ことを選んでいる現代の俳優たちの多くの立場とは異なるものだろう。それは自分の信じるものを演じているのか、自分の信仰とは別物を表現しているのかの違いなのである(もちろんどちらが良い、などという話をしているのはない)。彼女たちは映画の中で「お国のために少しでも尽くしたい」というようなことを何度も述べる。どうしてそう思えたのかという経緯はともかくとして、その言葉には嘘がない。その言葉は戦時下を同国民達の多くと同様に生き延びようとしている一俳優として、彼女(たち)の本音として響く。それが彼女らが信じた言葉だったからこそ、そこには演技ではない迫力が生まれた。善きに付け悪しきに付け、これはおそらくドキュメンタリーでさえ捉えがたい迫真性なのである。

この点が逆説的なのであるが、演じられた内容からではなく、スクリーンを通してはっきり見ることのできる、俳優として演じるという彼女たちの仕事ぶりから、当時の人間のこころ模様を垣間見ることが出来るのである。それが私の言うところの「記録」の意味である。

反面、リアリティとして感じられない部分がこの映画にはある。にわかに信じがたいのは、優しすぎる寮母と暖かい理解を示す工場の経営者達である。このイメージは私が抱いている(いた)戦中の恐ろしい大人達のイメージとは全く違うものだ。戦時中の大人達は(特に教員達は)とても怖く、権威を笠に着た極めて高圧的かつ暴力的な存在だったという印象を持っている。ところが、この映画に出てくる大人達は、ひたすら外には優しく内に厳しいという内剛外柔の人物像として描かれている。勤労奉仕をする女性達もおおむねそうだ。こういったことは、全くのうそか、こうであって欲しいという像を提供しているかのどちらかだ。いずれにしても、そうした内剛外柔の人間の在り方を「一番美し」いものとして描いているのは間違いない。だが、本当に何を意図してそうなっているのかを考えるのは、映画そのものの制作動機に関わる部分を考えることにおそらく等しい。当時、あまりにも自己保身的で独善的な大人達が目に余ったために、大人はこういう態度をとるべきだと当の大人達に説いているようでもある。また穿った見方をすれば、当時の大人達は必ずしも高圧的な権威主義者ばかりではなかった、ということを後の世に知らしめる意図があったようにも見えるのである。

さて、当時、どのような人々が彼女たちの「生き様」を映画館で観たのかは知らない。1944年という敗戦の1年前の日本で、一体どれだけの人が映画館に足を運び、この「娯楽」を楽しんだのかは分からない。この映画を見ることの出来た人たちは、このような映画を見るまでもなく、こうした彼女たちの生き様をまさに生きていたのかも知れず、またこの映画を届ける対象としての当時の若い世代の人々は、それこそ戦時下の勤労動員として「増産体制」に忙しく勉強さえ出来なかったのだから、映画を見るどころではなかったというのが真相かもしれない。もし、当時の日本人が「映画を見るどころではなかった」という状態であったことを黒澤が知っていたとすれば、彼のこの映画製作の意図というものが初めて別の視点で語られるようになるかもしれない。つまり、当時の世相の「記録」を「戦時体制に於ける戦意昂揚を図るプロパガンダ映画」の体裁を取って作った可能性があるということである。おっと、だがしかし、それは黒澤を伝説化するための方便をもう一つ加えるだけの単なる憶測に過ぎない。

繰り返すように、この映画の持つ最も強い衝撃を味わおうと思うなら、この映画が戦時下を生きる者達の手によって、戦時下の日本を描いた、正に戦時下の映画であるということを、実感しながら鑑賞すること以外にない。しかも、映画の中で演じている彼女たち自身が、役柄だけでなく、本当に「生きるか死ぬか」の戦時下を闘っていたという事実を噛みしめてのことである。

そこで実感として浮上してくることは、ドラマとして描かれている生活そのものばかりではなく、つい60年かそこら昔の日本で「日本人がどのようなことを信じられたのか」という、われわれの時代の人生観との隔たりである。だがそこで彼らの精神生活の方が豊かだったとか、われわれもあのように生きるべきだ、などという精神性の優劣に関して論じようなどというつもりもない。私が言いたいのはむしろその反対なのである。

映画に出てくる「軍神につづけ」という工場の壁に貼ってある横断幕やスローガンは戦後に映画を作るために復元されたものではなく、当時、正に使われていたはずの現実の横断幕でありスローガンであったわけである。そして信じることによって死んでいく兵士や普通の人たちの現実が、この映画の作られた当時、まさに平行して進んでいたわけである。ある意味で正視するのが実に容易でない映画であるが、厭なのは実は映画そのものではなく、そうした「現実」を造り、信じ、死んでいくことが礼賛され、美化された全体主義の時代をその映画が鏡のように映しだしているからに他ならない。そしてそうした現実を作った共犯者のひとりとして映画はまたあるのである。そして、そうしたつい60年前の日本人の精神の現実が、われわれにとって信じがたいものであるために起こる、「集団としての人間性」に対する不信の感覚なのである。そこに描かれているのは「個を捨てて初めて味わえる」とわれわれが今さら信じようと言う精神の高揚(カタルシス)があっただけだ。もちろんその幻想は1年後にはみごとに裏切られてしまうだけのものなのだが。

日本の国家的な使命や日本の優越的な運命を信じ、軍事国家としての日本を「別の視点」から肯定するという言論的立場が現在も存在することをわれわれはよく知っている。だが、いわゆる「自由主義」史観の立場からすれば、あの映画に描かれたような世界に現在のわれわれも生きるべきだと主張しているも同様なのである。そうした「自由」な考え方の是非をこの際語るまい。それよりも、そうした考え方が日本にどのような癒され難い災禍をもたらしたのか、どうして悲劇を避けることができなかったのか、心底信じたことがいかに脆くも崩れ去るのか、という疑問の視点こそが必要なのである。

戦後の日本の(腐った)民主主義をアメリカ合州国のプロパガンダによる洗脳の結果でしかなかったという視点でしか評価できない者は、日本が神の国であり、天皇が軍神であるという信仰が、庶民から自発的に自然発生した実感を基にしているのでもひとりの幻視者の予言によっているのでもなく、あくまでも国家の政策として、そして映画に描かれたような横断幕やスローガンによって、さらにこうした哀しい「戦意昂揚映画」をもって、かろうじて維持できたものに過ぎなかった(というより、それでも維持できなかった)ということにも同時に気付くべきなのである。

太平洋戦争勃発の3年前、1938年に作られた日本映画『新柳桜』などを観ていると、そこには戦意昂揚などという要素のかけらもない。女学生はバスケットボールに興じ「オッケーよ」などという言葉を話し、結婚への憧れやら女性の自立について盛んに語っている。われわれの今の時代と何ら変わるところがない。こうした自由な世相や気風からほんの3年で日米大戦に突入、そのまた3年後には『一番美しく』が作られている。そしてその1年足らずのうちに敗戦。

どうしてわれわれが、あの映画で描かれている戦時中の刹那の「精神性」の方にこそ信頼を置くべきなどと言えるのだろうか。どうしてわれわれはそれをいまだに「一番美しい」と思うべきなのだろうか? 共感を覚えてしまうなら、われわれには未だに全体主義への回帰の希求が残滓としてあることを意味しないのか?

今日、帝国アメリカの正義を正面切って信じるものはアメリカ国内ならともかく、そうそういるはずがない。しかしある政府に対するそうした批判的な判断が可能であるならば、どうして立派な軍事政権国家であった当時の日本国の正義だけを肯定的に評価しうるのであろうか。当時の戦争を肯定する自由主義史観は、「アメリカは悪だ。まずそれが前提だ。だからわれわれも悪に染まらなければその悪に対抗できなかったのだ」と言っているように見える。もしそのようなものでしかないのであれば、われわれは結局自分たちがその悪と同じであると現状を追認しているだけではないか。

最後に、われわれは文学や映画などの創作表現を通して、黒澤の『一番美しく』に代わるようなわれわれの時代の「記録」をすでに作りだしたのであろうか。映画が時代の世相を反映する鏡なのだとしたら、今日の映画は後の時代にわれわれの生きる時代の精神を伝えるのであろうか。もし伝えるのだとしたら、われわれはどういう時代に生きているということをそれは映し出すのであろうか。それとも、そうしたこととはこの際切り離されたものとして創作表現は機能しているという答が待っているのであろうか。切り離されたものとして機能しているのであれば、われわれの時代もどのような時代であったのか伺い知ることのできない「暗黒の時代」として歴史的に位置付けられるとしても一向おかしくはないのである。

ネットで見つけた『一番美しく』のロードショー当時のポスター


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