「日本国の国益は日本国の領土の上だけではないですよ。世界中にあるんですよ。それは誰が守るんですか。」(帝京大教授 志方俊之)* ちょっと前まではこうした言い方は単に「驚くべき失言」で済んだかもしれないが、いまや“自衛隊”と言う名のア合州国支援軍の海外派兵を進めるべきだと考えている人の口からは、とうぜんのこととして出がちな言い方だ。海外派兵に消極的な人でさえ、「日本国の国益は日本国の領土の上だけではないしぃ...」てなことを、インテリなら持っていなくちゃいけない最低限の知識...みたいな意識で無神経にも反復さえする。 しかし敢えて訊きたい。本当に「日本国の国益は日本国の領土の上だけではない」んですか?と。 そもそも「国益」という言葉が妖しいもので、日本人が無条件に共有する前提とはなっていない。「国益」を乱発する人に言いたいけど、この言葉への懐疑がまず基本でしょ。そもそも日本国によって人権を損なわれている日本在住の少数派の方々がなぜ日本政府の方針に協力的である必要があるんだろう? それでも彼らは産まれ育ったこの国土で生活する権利がある。 だが、あくまでも「仮に」だが、最大多数の日本人が賛同できる国益というシロモノが、どこぞに万が一あったとして、それが「日本国の領土の上だけではない」などと平気で口走ることの出来る人の時代感覚・政治感覚・倫理感覚というのはどういうモノなんだろうね。 そのような言説の裏には、「日本国の国益は例えばイラク領土内にある」あるいは「朝鮮半島にある」などと言うことになるわけだが、おもしれーじゃねーか、もしそれがほんとなら。 ってことはだ、立場を逆にしてみろって言うわけ。たとえば、某国が「われわれの国益はわれわれの領土の上だけにはない。例えば日本の領土内にもある」などと宣えば、われわれにとってそれはもう宣戦布告を受けたに等しい状況だよな。その某国のテレビでは「日本はわれわれ国家の生存のための生命線である。日本に軍隊を派遣駐留させるのは、われわれの国益を守るためである」なんて放映していたら、もうわれわれは臨戦態勢になければならんでしょう。ま、そういう意識もあって「臨戦態勢になろうよ」って誘っているんでしょうけどね、大多数の日本人を。 他国に言われてそのように自分たちが感じるようなことを、われわれは平気で口にするんですか?それなら「テロ」攻撃を受けたって文句は言えんでしょうな。 (そうそう、「テロ」っていう言い方止めません? よそものが他国の領土にいて振るわれる武力って言うのは、レジスタンスという言葉があるんですから。)
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