衒学者の回廊/園丁の今の言の葉 |
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| 環境を語る「資格」
〜あるいは哲学論争としての環境問題 | June
16 - July 11, 2000 | |
English version |
果たして、われわれに環境を語る「資格」があるのか? このような問いを発すること、あるいはこの点に関して一度は立ち止まって考えてみることは必要かもしれない。どのような討論であってもその有効性を説明するのは見た目ほど簡単なことではない。とりわけその課題が環境に関わることであるときは。われわれがこの問題をまともに扱いうるのか、という根元的な問い、こうした領域に深く踏み入ることは、いますぐにでも「対策」を講じなければ間に合わないかもしれないという切迫した状況、もしくは切迫したと考えられる状況を鑑みるに、「たんなる哲学論争に終始し何らも産み出さないのでは」とのきわめて傾聴に値する疑問さえ聞こえてきそうである。一見「哲学」でしかないとも考えられる、この論争の大いに予想される進行具合から言えば、だれかがそれを不毛だと断じ、その無用を主張したとしても、それは致し方ないことかもしれない。しかし、あらかじめそうとも言い切れない、ということを自分なりにいたらぬ考えをめぐらせてみる、と言うのがこの場所の目的である。果たしてわれわれが環境を語る「資格」があるのか、あるとすればそれは何故か。そしてまたこれを問うこと自体が生産的論考たりうるのか。そして、実行可能に思える諸方策をめぐる討論そのものは、いかにしてより生産的な討論たりうるのか。 ここでは、NHK
BS1の「地球法廷」Internet Forumで現在進行中の「環境を問う」と題した討論に関して専門家でない一討論参加者として独自に論考をおこなう。その討論テーマのひとつに「地球温暖化」があるが、テーマそのものの重大性とそれに対する興味深い具体的方策論議に加えて、現在起こっているさまざまな討論参加者のとる立場の違いという観点から、自分なりの「討論することの意味」そして「討論に参加することの意義」を考えてみたいと思う。それはまともに討論に参加できない、この分野における「不具者」たる筆者のくわだてる、主たるテーマの周縁論議のひとつでしかない、といったん認めるにやぶさかでない。しかし自ら討論に参加して初めて明らかになった点とは、どのような種類のひとが参加しどのように発言することで議論がより実り多いものになるのか、という議論の実験場としても「地球法廷」の討論が機能しているという事実であった。 そもそも討論自体が何か決定的な解決策を提示できるのでは、ということを期待するよりは、人間とは何者なのか、われわれ人類は今どうなっているのか、そしてわれわれはこれからどこへ行くのか、ということを多様なひとの口から聞きたいのであり、そして最後に何よりもなぜこういうことになってしまったのか、とその理由と意味を問いたいのではないか。その意味を問うための頭脳の刺激ツールとして多かれ少なかれそれに関わろうとするのではないだろうか。もちろん「真剣な議論提出者」ほど、このような主張を不真面目なものとして拒絶するかもしれない。しかし、討論参加者のなかで正直に自己を省みられるひとほど、私の主張しようとしていることに心の内で頷いてくれるような気がするのである。
NHK BS1の「地球法廷」Internet
Forum「地球温暖化」に投稿した筆者の意見 (タイトルのいくつかは、投稿した当時のものから変更してある) |
意見番号 | |
タイトル |
脱稿日 | |
| | ここでの討論は、「我々の生存」に関わることとして成されるべき |
February 28, 2000 | |
159 | | | | |
| | 環境破壊の文化的起源はどこかという特定が必要か |
March 12, 2000 | |
| | 地球の生態系全体を考慮する事など可能なのか |
March 12, 2000 | |
| | 鳥瞰的視点とわれわれの生活の視点の高さの間には |
March 14, 2000 | |
191 | | | | |
194 | | | | |
195 | | | | |
202 | | | | |
| | 討論への参加は「思想統制」とは関わりがない |
March 15, 2000 | |
| | 「枝葉」の補強は「全体」の強化 |
March 16, 2000 | |
| | 懐疑的反論から具体的提案へ |
March 16, 2000 | |
| |
「その程度のもの」なんてご謙遜な/地球を「判断主体として人間と同列に語ること」 |
March 16, 2000 | |
| | 成長しないで、生きていくやりかた |
March 17, 2000 | |
229 | | | | |
| | 2つの「巨視的視点」/物質の循環を補完する追加的な通貨システム |
March 25, 2000 | |
303 | | | | |
| | 私が折衷主義的たるゆえん |
March 28, 2000 | |
| | 生活様式変更の実行可能速度 |
March 28, 2000 | |
| | 「美しい自然」の逆説 |
March 30, 2000 | |
| |
地域通貨:意欲を持って取り組める方法論 | April
xx, 2000 | |
355 | | | | |
| | 生命に満ちあふれた宇宙を想像する |
April 13, 2000 | |
| | 幻想に終わらないオプション:生活習慣修正の可能性をさぐる(上) |
April 17, 2000 | |
| | 幻想に終わらないオプション:生活習慣修正の可能性をさぐる(下) |
April 17, 2000 | |
406 | | | | |
447 | | | | |
455 | | | | |
461 | | | | |
462 | |
誰も反応しない「地域通貨」 | May
2, 2000 | |
| | あらゆる議論の意義を問い得る「宇宙の意味」の探求 |
May 8, 2000 | |
| |
混乱は旧勢力の無知のせいか? |
May 8, 2000 | |
496 | | |
, 2000 | |
512 | | |
, 2000 | |
519 | | | | |
| | |
, 2000 | |
このあたりで自分のウェブサイトを建設し始めたので、討論からしばし遠のいている。再び戻ろうと考えています。 |
| | 自然観のパラダイムに関連して
(1) | June
20, 2000 | |
| | 自然観のパラダイムに関連して
(2) | June
20, 2000 | |
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(3) 〜「神秘主義」も「科学至上主義」も超えて | June
20, 2000 | |
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