衒学者の回廊/園丁の今の言の葉

好き嫌いの問題か
January 5-7, 11, 2001
 
English version

とりわけ日本が「キリスト教」国でない理由のためか、キリスト教というものは、客観的に批評や研究対象として、そして多くの場合、無条件的に「宗教」のひとつであるとして捉えられる傾向にあると思う。まず、研究対象としてそれを“客観的”に扱うことができる立場にいるわれわれは、まったく幸いなことであったと思うし、他でもない私自身がその歴史的・地政学的恩恵を受けていると自覚している。ただそれを幸いであったと言えるのは、キリスト教以外の「宗教」の様々な問題について、逆にわれわれは全く“客観的”になれないということをよくわきまえてすればの話である。むしろ、宗教の問題を「好き嫌い」で判断すること(そしてそれは問題を考えなくする選択である)の方が、論理的一貫性の維持の面で、後々多くの困難を生ぜしめるであろう。そうできないのであれば、「私は宗教について全くちゃんと考えたことはありません」という方がまだ誠実であろう。

今日の「宗教の問題」は、ある程度までその対象が無条件的に「宗教」であるとして捉えられる時に起こると思われる。それを信じない者からすれば、イスラム教もヒンヅー教も「宗教」である(というより、われわれにとって「宗教」でしかない)。それでは日本古来の八百万の神に対する信仰や、何かをすると祟り(タタリ)が起こるという考えや、しきたりによる因習的行動パターンは、果たしてそのような意味で「宗教」のもたらしたものなのであろうか。もともと仏教(仏陀の思想)は祖先信仰と何の関係もないが、日本では先祖を祭り、またさらにそれを「ホトケ」として礼拝するのが慣習(ならわし)である。そしてそれは日本において「仏教」として考えられている。そうなるとそれはもはや思想云々の問題ではなく、ほとんど習慣化したものでしかない。しかしどんな深い事情があれ、それを端から見て部外者が「宗教的である」と考えてしまったとしても不思議はない。くわえて、果たして日本人にとってそうした祖先信仰や日本化された「仏教」というものが、われわれがキリスト教を「宗教」と捉えるような意味で、宗教と言えるようなものなのであろうか? 大多数の日本人が、実際問題それを宗教ではないと考えているかもしれない。つまり、習慣化されていない「侵入する異文化」や「信仰を迫る教義」をわれわれは「宗教」と捉えるのである。仏教を「宗教」と捉えるのは、それ以外の信仰の対象がどこかに存在するという前提があってのはなしであり、あくまでも相対的な物事の認識が条件である。

比較的洗練されたインテリがイスラム教を容易に批判したり性急に評価したりする事ができないのは、なぜか? それは、イスラム圏においてイスラム教がわれわれが知るような意味での「宗教」として機能するばかりではなく、生活などすべての面で行為決定などを司る、まさに価値の絶対尺度であることを知っているからである。つまり、われわれ日本人は、キリスト教を一度信じた多くの西欧人とは異なり、(そして決定的にはキリスト教による「直接支配」も、イスラム教による直接の支配や攻撃も受けたことがないわれわれにとっては特に)その一見して「空恐ろしい」イスラム教に対しては、安易な批判を加えることをせず、配慮を持って接することを知っているのである。しかし、それが本来、他人の宗教に対する「respect」であり礼儀というものであろう。それは、いかにその「宗教」やそれがもたらした社会が、われわれの習慣や価値観と異なっていても、その「宗教」が異文化の中で単に信仰を越えて社会の通念や文化の一翼を担っていることを知っているため容易に批判できないからである。

一方、今日のわれわれ日本人が、通常、儒教を「宗教」として捉えないのは、特殊なことでも何でもなく、一度でもその影響下にあったことのある東アジアの諸国では共通して言えることである。しかし孔子の言った(と考えられている)ことが、理屈でその理論の正しさを後から論証できるような類のものであったとしても、それが受け容れられ、遍く流布された背景には、われわれが今日知っているような意味での「宗教的運動」が大いにあったにちがいないのである。その理論の正しさのみが人をして信ぜしめるというようなことではなかったはずである。その意味では、儒教のように、現在「もはや宗教でない」に分類されるようなものであっても、社会や民族の風習や価値観の固定に資する教義(ドグマ)というものは、その思想の成功には純粋に思想としての正しさのみならず、かつて(われわれの言う意味での)「宗教」としての成功があったことを示しているのである。「音楽家」として小室哲哉やマドンナほどの音楽的技量を持った人たちはこの世に多くいると思われるが、必ずしも彼らすべてが同じだけのサクセスをするとは限らないということと何ら変わらない。

ひるがえって、問題のキリスト教とは、果たして最初から「宗教」であったのか? ひとつの言い方として許されるのなら、“キリスト教”は一面的には宗教として発展することがきわめて必然的であったひとつの思想であり、またきわめて精巧にできた(逆説さえも内包する)象徴体系であったことには疑いがない。しかし、それが現在ヨーロッパとして知られている地域に無条件的慣習や「恐怖の源」として根付こうとしていたとき、それはまだ宗教でさえなかった(ということは、われわれの現在認識している意味での「宗教」ではなかった、ということである)。それは、仏教が「信仰の唯一の対象」として初めて日本人の生活の中に根付き始めた当時となんら変わらない。

ヨーロッパ地域にあった古代の価値観を尊重する余り、そのあとに入ってきた(新興の)キリスト教を否定するとすれば、現代人としてのわれわれが、「日本には元来、八百万の神の宗教があったのだ」と主張して(新興の)仏教を否定する単純さと変わらない。果たして仏教というものは、日本において(確かに一面そういう捉えられ方ができたとしても)仏教以前の旧世界の秩序を破壊するばかりの「危険思想」でしかなかったのか? そうではなく、思想的にも道徳的にも学ぶことの多い哲学であろう。さらに、それがもし「危険思想」でしかなかったのなら、どうして神道の総元締めであるはずのほかでもない天皇が仏教のヘッドクォーターズである国分寺(こくぶじ)を日本各地に建立するというようなことを命じたのか? それは、仏教が文明であったからである。また、その当時最もモダンで知的階級を魅了する「はやりの思想」であったからである。そしてそれを競って学ぼうとしたのは、民族あるいは国家としての生き残りと極めて深いかかわりを持った政治的選択でもあったからだ。すなわち「国体」と深いところで関わっていたのである。

ただし、残念ながら今のわれわれができると信ずるようなかたちで、「文明の利器は欲しいが宗教は要らない」という風に分けて考えることはできなかったのである。「資本主義経済のもたらす自然破壊は倫理的に反しているので嫌だがコンピュータは欲しい」というわけにはいかないわけである。キリスト教を否定し成功裏に排除したかに見えた江戸時代から幕末までの日本も、「キリスト教文明」の合理性と利便だけを何とかコピーして着実に学んでいったつもりだったわけだ。しかし起こったことは「イエスは神の子である」の部分だけを信仰していないだけであって、全世界の誰よりも(維新後も維新前も問わず)キリスト教がもたらした(ここの部分が単純なんだよな)資本主義文明の体現者をだれよりも地で行っているように見える。そしてもっと知的階級の気に入るような表現をすれば、日本が今のようになったのは、「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」(Max Weber) だとなる*わけだ。しかし、このように極度に単純化された主張を無条件にできる人に、逆に訊きたいのは、「一体日本は、キリスト教を本当に排除できたの、それともできなかったの?」と言うことだ。(フィリピンや韓国と違い、)もしできたと主張するならば、なぜキリスト教を嫌う理由があるのかを訊きたいし、もしできなかったと主張するならば、その人は自分の状況が紛れもなくキリスト教がもたらしたものでしかなく、自分の内面にこそそれを説明できる本質がなかったのかを改めて問いたいのである。

* この点に関して、まだまだわれわれは結論を急ぐことができない。だいたいキリスト教の日本上陸後にいろいろな紆余曲折を経た後に「鎖国」を決心した日本が、江戸時代のその三百年弱の間にこそ、「近代資本主義の雛形」と言えるような極めて洗練された社会体制を完成させたということも言えるからである。したがってその発展さえ、単純に日本固有のものと考えることも、キリスト教上陸を経験した後だからこそ、また西欧社会の存在をつねに視野に入れていたからこそ可能であった政治的選択であったと考えることも、可能であり、そうした考え方次第で、随分われわれ自身やヨーロッパ文明に対する認識が左右されるのである。

純粋に信仰の対象や哲学的思想としてではなく、まさに、人間の宗教としての「仏教」というのはひとつの文明と言うにふさわしいものであった。新たに紹介されたホトケの思想が、「宗教」と化したとき、祖先を祭る習慣と合体してでも、その存在の意義を主張した。一方、古い神々を信じていたはずの、あるいは自分を現人神(あらひとがみ)として崇め奉ってくれることを期待していたはずのローマ皇帝が、危険な「異端思想」であり一新興宗教でしかなかったはずのキリスト教(一神教?)を、徐々に、しかし確実に、そして最終的に公教として受け容れるに至ったのは、キリスト教が文明それ自体であったからである。これはローマ帝国の生存に関わる問題(ひいてはその帝国の制度によって生きていくことのできたすべての「生活者」の生存に関わる問題)であったのだ。

もちろん、この鉄壁であるかにみえた「宗教」としての仏教やキリスト教が古い道徳や習俗をすべて根絶やしにすることができたわけではない。仏教は、それが伝搬していく過程で各地の土俗の文化や習慣と結びつき次々に新しいバリエーション(宗派)をつくっていった。われわれ“(西側)知的階級”の関心を捉えて離さないチベットやネパールの仏教(ラマ教)の例も牽くまでもない。朝鮮半島や日本では仏教がまず本来何の関係もない祖先信仰を取り込み、道教や儒教や神道との複雑な混淆を経て独自の発展した。つまり、どんな宗教も、全面的にその正しさを否定されることは嫌い、常に自分の姿形を変えてでも、そして「折衷」的に思想そのものを多元化してまでも受け容れられていこうとするのである。そしてそれがまさに人間の組織としての宗教であるのだ。キリスト教も北へ北へと伝搬されていく過程で、各地の土着の信仰と結び付いていったわけだ。

恐らく、そんな中でもキリスト教会の方針に最も強力な抵抗を見せたのが、有史以前から続いていた12月の冬至の前後に執り行われた農耕神などなどにまつわる復活の祭りであったであろう。その多くは、生霊を宿した樹木信仰であったはずだ。教会さえ、それを単なる呪いやまじないであるとして禁止することができなかった。モミの木と何の関係もないキリスト教の降誕祭も、地元の新春の復活祭を排除したどころか、取り入れることでしか根付かせることができなかったのである。

そして「冬至の祭り」も「救世主の復活の祭り」も面白いことに、その本質において同じことを象徴しているのである。

また、「宗教は阿片」だと考えた社会主義のソビエトでさえ、クリスマスの伝統を禁止することができず、もちろんプレゼントのやりとりを禁止することなどできず、それを新年の「贈り物のお祭」りとして存続させたがごとくである。サンタクロース*はキリスト教思想にとって何の関係もないのは当然であるばかりでなく、ましてや資本主義の象徴などでさえない。俗化されたキリスト教のリチュアルと共存して生き延びた、より古い慣習であるだけだ。

* サンタクロースは、そのトナカイの曳くソリに乗ってやってくると言われるその姿形から言っても、ドイツよりも北方、恐らくスカンジナビア半島のどこぞのフォークロアに登場する伝説上の人物であろう。それがキリストの生誕と直接には何の関連もないのはアタリマエのことである。しかし、サンタクロースがプレゼントを入れてくれるはずの暖炉に張り付ける「靴下」の象徴が、もっとエソテリックな起源を持つものである、などあれこれと言えるが、そのような些末についてはここで説明しても多くの人には馬の耳に念仏であろう。

キリスト教を好きか嫌いで断じきることができるのであれば、私は日本のアニミズムを根底から根絶やしにした「(宗教としての)(あるいは政治的選択としての)仏教は嫌いだ」ですませることができる。しかしそういうことで済ませることができると本当に信じるなら、すべての宗教らしいものから等しい距離を置く態度が必要だろう。

われわれが資本主義をその名を用いてあたかもインテリゲンツィアの当然の思考過程であるかのように否定できるのは、それが好きか嫌いかではなく、それがもっと深い超・倫理的な問題、あるいは地球規模の問題を含んでいるのを識っているからである。しかし「われわれそのもの」であるとさえ言える人間の本性(欲望)としての、そして便宜的名称としての“資本主義”をあらためて考えたとき、所詮主義主張だということで容易に否定することのできない「なにか」であることも分かるであろう。ということは、資本主義との名前で呼ばれるモノがわれわれの正体そのものであることをわきまえているということである。文明そのものとして受け容れ、その利便や栄華(あるいはその一部)を楽しんだ者は、それがいかに間違っているものであったとしても、単にキリスト教や仏教に「宗教」とのレッテルを貼って(あるいはそれを嫌いだと言って)、自分から区別しても否定しきることはできない。われわれは(キリスト教、仏教、資本主義、その他さまざまの名前を持つ)文明そのものをその都度一旦は受け容れた人間として、その責任を、(そして皆さんの嫌いなキリスト教的に言えば、原罪を)背負っているからである。



クリスマスを嗤う(爆笑する)なら、やっぱりここは要チェック。(added in August 22, 2001)
クリスマス粉砕同盟実行プラン(日本語)
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