これは衒学者を自ら任ずるある園丁(当ウェブ制作者)の帰国後比較的早い時期の言の葉です。帰国直後(September
4, 1994)の「混乱の時期」から、定職についてようやく仕事に慣れ始めた頃のつれづれなるままの「日本の印象」、そしてこの国を再発見する際のいわゆる「第二のカルチャーショック」を乗り越えようとする「精神的な葛藤の記録」、かもしれません。混乱もしており、また、現在の園丁が読むと、なんという思いこみと感情の高まり、と本人が驚くほどでありますので、はやいところ、自己批判の試みを添付しないと、危険であるとさえ思えるのです。(July
20, 2000) |
すべての理論への前書き
November 15, 1999 [西洋史と西洋音楽史の呼応性(あるいは、伝統と個人主義の拮抗について)への序文から]
すべてが「便宜的な前提」によってしか語り得ない、ということについて言及し、あらかじめ「非常口」を確保しておくために用意された「序文」を この「言の葉」全体への序文とすることにします。
(July 25, 2002 updated)
課題 |
題名 |
リンク/関連文書 |
日付 |
* | 音楽の領域と「善なるもの」を結びつける商業的評論家の欺瞞的努力について
| スクラップブック、backyard,
bs@web |
April 1996 ~ February 2000 |
| 不自由行為としての「芸術」活動 | 改訂(November
16, 2000)あり |
August 13, 1999 |
| 「燃費」は「効率」を意味するか? | 日本経済新聞『春秋』
1999年5月17日付け |
May 17, 1999 |
| ボイコットしかない | |
April 8, 1999 |
| 修正の効かない過ちとしての統一番号制管理社会 | ストーカー国家にNoを
New Link |
April 7, 1999 |
* | 帰納的推論としての血液型性格判断と偏見の新たな手段 | スクラップブック、backyard,
bs@web |
October 1997 ~ February 1999 |
| はみだすということ | |
March 5, 1999 |
| Millennium
Buggy and CIP | |
November 4, 1998 |
| 総合する力と個を理解する力は背反するのか? | |
June 10-11, 1998 |
伝統 | 規制緩和という名の権力者の没落
| (科学は「非オカルト」に?) |
June 3, 1998 |
| 西洋史と西洋音楽史の呼応性
(あるいは、伝統と個人主義の拮抗について) | 予告編へ |
April 10, 1998 |
メモ | ミトコンドリアはパラサイトか
| uploaded
in August 8, 2001 |
March 19, 1998 | | 真のユダヤの王としてのイエス・キリスト | |
March 18, 1998 |
| 契約という名の不平等 | |
March 4, 1998 |
評論の試み | パット・メセニーをどこまで支持し続けるべきか? | |
January 17, 1997 |
| Scholem's
Inspiration | |
November 11, 1996 |
戯曲 | 株式会社・石工
〜どうしても知りたかったけど分からなかった人のためのQ&A(by Giovanni) | Away
from the Mason |
October 7, 1996 |
| 小禍と大禍 | |
April 23, 1995 | | マルコ・ポーロに何が起こったか | |
February 4, 1995 |
| 錬金術とその意味 | |
November 4, 1994 |
| ユダヤの神とは | |
November 30, 1994 |
| 第二次世界大戦とアジア(メモ) | |
November 30, 1994 |
| 独立採算性の落とし穴 | |
October 26, 1994 |
| このセキュリティはだれのもの? | |
September 21, 1994 |
| 親方日の丸の手足がもがれる日 | |
September 21, 1994 |
帰国直後の印象 | 太陽の胎内は | |
September 6, 1994 | |